2016年09月22日

プロットの完全性

プロットは完全であるべきだ。
そうでなければ、あとでいくら足しても不完全な話にしかならない。

先に完全な話があり、ディテールを足していくことは出来るが、
不完全な話をディテールを足して完全にすることは出来ない。
それゆえに、プロットの完全性を作っておくことは、
プロット段階の必須項目だ。

プロットが完全である、ということは、
以下のようなことを言うと思う。


1. 矛盾していないこと
2. 謎に全て答えが出て、なんの疑問もないスッキリした気持ちになること
3. 先を知る楽しみと、全てを知り終わった満足が両立すること
4. 何かに似ているが、何にも似ていないこと
5. 主人公の目線から、全てが統一的に見えること
6. 全てが必然性の塊になっていること
7. 発生した争いは全て解決されること
8. クライマックスで一気に解決する気持ちよさがあること
9. 一点からはじまり、(様々なものが合流したのち)一点へ収束すること
10. 構造で意味が示せていること

などが挙げられると思う。
勿論面白くて感情移入出来、興味深く、
あらゆる素晴らしい感情が味わえることは最低限の前提だ。

逆に言うと、

矛盾があったり穴があったり、
所々疑問に思ったことや謎や伏線が残されたまま終わってモヤモヤしたり、
先を楽しみにするだけで、終わったら忘れてしまうものだったり、
先が楽しみに出来ないくせに構造だけは完全だったり、
何かに似ているだけでオリジナリティーが希薄だったり、
何にも似ていないゆえに、どう解釈していいか分からなかったり、
バラバラの視点が混ざらず、どこからこの事実を見るべきか不定であったり、
必然性なく唐突だったりぶつぎれだったり、無理があったり、
争いが解決していないものがあったり、
クライマックスがダラダラ続いたり、断続的だったり、
バラバラから始まって何を見ていいか分からなかったり、
一点にすとんと落ちず、結末がバラバラに終わったり、
その構造がテーマをそもそも暗示していない、

ようなものは、不完全な話にしかならない。


プロットは完全であるべきであり、
なおかつ面白くて、感情が震えるものであるべきだ。
まるでその映画を見終わったときと同じような思いを抱くには、
ここまで出来てなきゃダメだと思う。



「プロットから始める初心者」を僕は応援しない。
これが最初から出来るはずがないからだ。
初心者のうちはがむしゃらに何本も書いて、
(何本も書くのに、5枚程度の短編を僕はすすめている)
本編とプロットを分離できる能力がついてからでいい。

そこではじめて、
完全なプロットを作り込んでから、
次に素晴らしいディテールを足していくという、
オーソドックスなスタイルに慣れていったほうがいい。
posted by おおおかとしひこ at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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