2016年09月27日

それは何日間の物語か?

ただちに答えられるだろうか?


短編なら一時間の出来事を5分で語るかもしれない。
長編なら、
最短二時間(「桜の園」)から、
数日から、
二週間くらい(ハリウッドの理想らしい)から、
数ヶ月から、
数年、数万年、
など、ものによってバラバラだろう。

多そうなのは数週間や数ヶ月あたりだろうか。

その物語の間、
登場人物たちは、どこで寝てどこで飯を食うのか。
所持金や貯金はいくらぐらいで、
どこで金を得ているのか、
つまり、生活の基盤は。

わりとこの辺が詰められていないと、
リアリティーに欠けてゆく。

作中で説明する必要はない。
説明してもよい。(「お前普段飯どうしてんの?」と尋ねさせてもいい)

そこのところは、作中ではほぼ省略されているはずだ。
たとえばシンゴジラでは、巨災対がどこで寝ているかは省略されている。
だけど毎日家に帰っているのか、
電車は動いてるのか、電気やガス水道、ネットのインフラがあるのかは、
いまいち描かれていなくて、とてもフワフワしていた。
多分決めていない。
決めていれば、台詞の端々に無意識に出ただろうからだ。
たとえば蒲田がやられたあと、
京急が止まってるから東急に変更したが、
その後武蔵小杉から丸子橋までは通行止めな為、
JRで迂回しなければならない人がいるはずだ。
(車通勤の人は東京では稀だが、災害後増えるかも知れない)
そういう感じのリアリティーがなかった。
(僕は阪神大震災のとき学生だったけど、
あのあたりの電車が動かなくて、みんな三田経由で通学通勤していたなあ)

台詞で説明しろとは言わない。リアリティーの問題なのだ。
これは役者が独自の判断で作り込んでくることもあるけど、
脚本に生かされていない限り編集で切られる部分だろう。


これらのリアリティーを詰めておくには、
作中のカレンダーを作るに限る。
何時間睡眠出来るスケジュール、みたいな細かいことも、
ストーリーに影響を与えるかも知れない。
夜勤の人や海外出張の人は、
普通の人でないスケジュールで動いているはずだ。
土日出勤のサービス業の人の休みの日とかもあるだろう。

しかも。

物語というのは、それらの日常が、
非日常へシフトする様を描くわけだ。
気持ちや事態が非日常だからといって、
生活リズムはいつもと同じかも知れないし、
ガラッと変わるかも知れない。
一週間ぐらいまでなら、ホテル暮らしとか非常食とかは耐えられるけど、
それを越えたら精神に負担があるだろうし、
それが物語に影響を与えないわけがない。

僕は今、約9ヶ月の話を書こうとしている。
場面以外の時間、彼らがどこで寝て何を食べて日常を過ごしているかは、
ある程度想像すべきだと思っている。
そのうち一人はウィークリーマンションを借りるのか、
本格的に部屋を借りるのかで少し悩んでいる。
家賃の相場や貯金高についてもリアリティーがなければならない。
そんな場面は作中にはないけれど、
それを決めておくことはその人物の実在感を増すだろう。

移動が必要なとき、いくらぐらいかかるのか、何時間かかるのか、
などもリアリティーの構築に重要だろう。
実際にそのルートを行ってみるのは、
「着いたー!」という台詞を書くのにもリアリティーがこもるというものだ。
リアリティーがあれば、「着いたー!」以外の台詞をきっと書く。

勿論、そんなことは殆ど裏になるだろう。
しかし表に出てくるのはは氷山の一角だ。
下に膨大なリアリティーの積み重ねがあるから、
表の振る舞いに真実味が出てくる。


それは何日間の物語か?
何年何月何日何曜日にはじまり、
何年何月何日何曜日に終わる?
天気や気温はどうだった?
一般のニュースはどうだった?

作中で省略されている時間、
彼らは何をしてた?
どこで寝てどこで飯を食うのか?
生活費はどうしてるのか?

それらの数ヶ月(とか数日)の、
最もオイシイ所が注意深く編集されて、
二時間の脚本になっているはずだよね?
posted by おおおかとしひこ at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック