ただちに答えられるだろうか?
短編なら一時間の出来事を5分で語るかもしれない。
長編なら、
最短二時間(「桜の園」)から、
数日から、
二週間くらい(ハリウッドの理想らしい)から、
数ヶ月から、
数年、数万年、
など、ものによってバラバラだろう。
多そうなのは数週間や数ヶ月あたりだろうか。
その物語の間、
登場人物たちは、どこで寝てどこで飯を食うのか。
所持金や貯金はいくらぐらいで、
どこで金を得ているのか、
つまり、生活の基盤は。
わりとこの辺が詰められていないと、
リアリティーに欠けてゆく。
作中で説明する必要はない。
説明してもよい。(「お前普段飯どうしてんの?」と尋ねさせてもいい)
そこのところは、作中ではほぼ省略されているはずだ。
たとえばシンゴジラでは、巨災対がどこで寝ているかは省略されている。
だけど毎日家に帰っているのか、
電車は動いてるのか、電気やガス水道、ネットのインフラがあるのかは、
いまいち描かれていなくて、とてもフワフワしていた。
多分決めていない。
決めていれば、台詞の端々に無意識に出ただろうからだ。
たとえば蒲田がやられたあと、
京急が止まってるから東急に変更したが、
その後武蔵小杉から丸子橋までは通行止めな為、
JRで迂回しなければならない人がいるはずだ。
(車通勤の人は東京では稀だが、災害後増えるかも知れない)
そういう感じのリアリティーがなかった。
(僕は阪神大震災のとき学生だったけど、
あのあたりの電車が動かなくて、みんな三田経由で通学通勤していたなあ)
台詞で説明しろとは言わない。リアリティーの問題なのだ。
これは役者が独自の判断で作り込んでくることもあるけど、
脚本に生かされていない限り編集で切られる部分だろう。
これらのリアリティーを詰めておくには、
作中のカレンダーを作るに限る。
何時間睡眠出来るスケジュール、みたいな細かいことも、
ストーリーに影響を与えるかも知れない。
夜勤の人や海外出張の人は、
普通の人でないスケジュールで動いているはずだ。
土日出勤のサービス業の人の休みの日とかもあるだろう。
しかも。
物語というのは、それらの日常が、
非日常へシフトする様を描くわけだ。
気持ちや事態が非日常だからといって、
生活リズムはいつもと同じかも知れないし、
ガラッと変わるかも知れない。
一週間ぐらいまでなら、ホテル暮らしとか非常食とかは耐えられるけど、
それを越えたら精神に負担があるだろうし、
それが物語に影響を与えないわけがない。
僕は今、約9ヶ月の話を書こうとしている。
場面以外の時間、彼らがどこで寝て何を食べて日常を過ごしているかは、
ある程度想像すべきだと思っている。
そのうち一人はウィークリーマンションを借りるのか、
本格的に部屋を借りるのかで少し悩んでいる。
家賃の相場や貯金高についてもリアリティーがなければならない。
そんな場面は作中にはないけれど、
それを決めておくことはその人物の実在感を増すだろう。
移動が必要なとき、いくらぐらいかかるのか、何時間かかるのか、
などもリアリティーの構築に重要だろう。
実際にそのルートを行ってみるのは、
「着いたー!」という台詞を書くのにもリアリティーがこもるというものだ。
リアリティーがあれば、「着いたー!」以外の台詞をきっと書く。
勿論、そんなことは殆ど裏になるだろう。
しかし表に出てくるのはは氷山の一角だ。
下に膨大なリアリティーの積み重ねがあるから、
表の振る舞いに真実味が出てくる。
それは何日間の物語か?
何年何月何日何曜日にはじまり、
何年何月何日何曜日に終わる?
天気や気温はどうだった?
一般のニュースはどうだった?
作中で省略されている時間、
彼らは何をしてた?
どこで寝てどこで飯を食うのか?
生活費はどうしてるのか?
それらの数ヶ月(とか数日)の、
最もオイシイ所が注意深く編集されて、
二時間の脚本になっているはずだよね?
2016年09月27日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック