2016年09月27日

同時性の整理

ものすごい当たり前なんだけど、意外と気づいていないこと。

シナリオは、どう頑張っても、
ある行のあとに次の行がある。
まあ文章というものはそもそも、そういうものだ。

何が言いたいかというと、
シナリオ(文章)は、同時に起こることを記述出来ない。

逆に言うと、「必ず順番になるように、整理されている」ということだ。



この場合の同時とは、
AとBが同時に起きる、と記述すればいいではないか、
というレベルの話ではない。

現実を考えよう。

ある人とある人の思考や行動は、常に同時進行だ。
70億人の同時進行が現実である。
さらに付け加えれば自然現象や宇宙の進行も含むわけだ。
その中でも、
物語で使う範囲は限られた範囲である。

限られた範囲の中の同時進行を、
「ある順番で記述したもの」が物語である。
つまり、ある行でAのことを書けば、
その時間、A以外の全ての要素は無視されるわけだ。

逆にいえば、物語とは、
たとえば100行で10人の同時進行を描くとしたら、
1000の同時進行を記述することは出来ず、
100の選ばれた事象しか記述出来ない、
ということを意味している。


かといって、それが現実を反映していないわけではない。
現実には無駄なことがとても多くあり、
意味のない所はカットしたほうが分かりやすくなるものだ。
(たとえば居酒屋の会話を録画してみたまえ。
殆どはカットしても大事な会話に影響はない)
その枝刈りを終わらせたとしても、
なお、省略法というのが人間にはある。
以下同じとか、あるものを見れば他は大体分かるからOKとかだ。

物語とは、それらを注意深く選んだ、
1000の中の100を並べたものなのである。
さらに時系列自体も省略すれば、
100は30になるかも知れないわけだ。
その30で、1000の中の本質的なところが十二分に伝わるように、
「注意深く並べられたもの」が物語なのである。

「リアルな」ものを作るほうが実は簡単だ。
混乱したり、同時進行するものをただ描くとよい。
整理されていない混沌がリアリティーを生む。
たとえば「クローバーフィールド」「レヴェナント」を見てみるといいだろう。

物語とは、さらにそこから、
注意深く整理され、注意深く並べられたもののことをいうのである。
事態が分かりやすく、察する力を発揮できるような形にである。

リアルに書きたいのなら、
居酒屋の録画のように書けばよい。
それは混乱であり、同時進行であり、よれたストーリーラインであり、
きっと結論がないだろう。

逆にリアルでない、きちんとした物語とは、
整理であり、順次に理解が進み、無駄のないストーリーラインであり、
結論が明確なのである。



昨今、リアリティーの演出が増えてきたのは、
リアルとはもっと混乱したものだという我々の直感がそうさせていると思う。
しかし、それは整理したり順番に並べたりする、
実力の低下、つまり怠慢の言い訳にしか聞こえない。

順番にものごとを整理して並べ、
無駄なく結論へ導く。
こういう文章ですら、そうありたいものである。
posted by おおおかとしひこ at 22:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック