2016年09月29日

下書きをしよう

デジタルになって忘れられつつあるやり方に、
下書きと清書、という段取りがある。
(昔の業界は、ラフと清刷りなんて言葉があったものだ)

僕は必ず下書きをする。
それから清書に取りかかる。
第一稿だろうが何稿だろうがだ。

それは、
下書きはアイデアをとにかく出すこと、
清書はそれをうまく整えること、
と、別の役割があるからである。


下書きに許されることは、
何重にも線を引くことだ。
スピード優先、アイデアの面白さ優先、
可塑性優先なことである。

だから一回書いた下書きは、直して全然いい。
更に良くなるなら、消したり足したりしてよい。
入れ換えたりもするかもだ。
ある思いつきによって、
下書きをまるで別のものにすることすら、やってもいい。


清書は、まとめることが目的である。
まとめる為には、一度俯瞰しなければならない。
多分ここが大事だ。
全体を見て、一体どういうことなのか、
その為には部分がどういう役割を果たすかを、
俯瞰しなければならないのである。
だから、
何重にも引かれた線から、たった一本に決める作業が出来る。
複数のアイデアをひとつに決定する作業が出来る。
あれを採用するなら他は捨てると決心する作業が出来る。
残ったものだけで何が表現されているか、吟味する作業が出来る。

下書きの目線は現場目線、
清書の目線は俯瞰目線、とでもいえるかな。


僕は、
下書きと清書の段階を必ず分ける。
発散と収束は、別の作業だと思う。
デジタルでやるとこの境界が曖昧になるので、
僕はデジタルによるアイデア出しは推奨しない。

たとえばワードにいきなり書き出して、
それを成型しながら清書にしてしまうやり方は、
僕は勧めない。
メリハリがなく、脳の切り替えがうまくいかないからだ。
それが、時間切れまでダラダラやる原因であり、
結局スパッとしたものが作れない原因ではないか。

発散と収束は、別の仕事だ。
砂かぶりと俯瞰の違いだ。
下書きと清書の関係をきちんと作った方が、
よりアイデアが鋭く、強くなると僕は思う。
posted by おおおかとしひこ at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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