デジタルになって忘れられつつあるやり方に、
下書きと清書、という段取りがある。
(昔の業界は、ラフと清刷りなんて言葉があったものだ)
僕は必ず下書きをする。
それから清書に取りかかる。
第一稿だろうが何稿だろうがだ。
それは、
下書きはアイデアをとにかく出すこと、
清書はそれをうまく整えること、
と、別の役割があるからである。
下書きに許されることは、
何重にも線を引くことだ。
スピード優先、アイデアの面白さ優先、
可塑性優先なことである。
だから一回書いた下書きは、直して全然いい。
更に良くなるなら、消したり足したりしてよい。
入れ換えたりもするかもだ。
ある思いつきによって、
下書きをまるで別のものにすることすら、やってもいい。
清書は、まとめることが目的である。
まとめる為には、一度俯瞰しなければならない。
多分ここが大事だ。
全体を見て、一体どういうことなのか、
その為には部分がどういう役割を果たすかを、
俯瞰しなければならないのである。
だから、
何重にも引かれた線から、たった一本に決める作業が出来る。
複数のアイデアをひとつに決定する作業が出来る。
あれを採用するなら他は捨てると決心する作業が出来る。
残ったものだけで何が表現されているか、吟味する作業が出来る。
下書きの目線は現場目線、
清書の目線は俯瞰目線、とでもいえるかな。
僕は、
下書きと清書の段階を必ず分ける。
発散と収束は、別の作業だと思う。
デジタルでやるとこの境界が曖昧になるので、
僕はデジタルによるアイデア出しは推奨しない。
たとえばワードにいきなり書き出して、
それを成型しながら清書にしてしまうやり方は、
僕は勧めない。
メリハリがなく、脳の切り替えがうまくいかないからだ。
それが、時間切れまでダラダラやる原因であり、
結局スパッとしたものが作れない原因ではないか。
発散と収束は、別の仕事だ。
砂かぶりと俯瞰の違いだ。
下書きと清書の関係をきちんと作った方が、
よりアイデアが鋭く、強くなると僕は思う。
2016年09月29日
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