2016年10月03日

逆に、物語はチートを匂わせて現実に戻す

前記事の続き。
チートは麻薬である。
たとえばバトルのインフレや、
天才の覚醒や王族の血は、チートだ。
しかしこれはいずれ破綻する。


連載漫画はチートの期間が長いほど儲かる。
結末なんて最終巻だけだから、
それがどう結論づくかなんてどうでもよく、
チートで売れることだけが目的だといってもよい。
これは商売上の立場だ。
作品的な完成度や意義などはどうでもよいと考えるなら、
チートという麻薬を使うとよいだろう。
いわばドーピングだ。
カンフル剤にも使うことがあるよね。

ところが一回勝負の映画では、
結論まで含めて作品だ。
チートの破滅を避けなければならない。
(チートして破滅、ということを正面から描いたものに、
「レクイエムフォードリーム」という最悪映画がある。
文字通り麻薬の話だ。チートの結末を知るには丁度いい。
この胸糞は体験しておくべきだ)

そこで、
映画では大抵二幕を上手に使う。

二幕は非日常のスペシャルワールドである。
そこでチートを演出するわけだ。
全能感やワンダフル感をくすぐるといい。
二幕前半で恋の進展があったり、
世界にポジティブに関わる感じがあったりするのはその為だ。
(例:マトリックスでは、カンフーをマスターしたり空を飛べるようになる)

三幕のラストに日常に帰還することで、
主人公はそのチートから決別する。
理想は、
チートを使わなくても、
もとの日常に対処していけるようになることである。
一般にこれを成長というわけだけど。


チートは魅力的な麻薬だ。
だからこそ、うまく使い、うまく決別しなければならない。

たとえば、
北斗の拳やドラゴンボールは、その麻薬で破滅した作品である。
スラムダンクはうまく逃げ切ったね。
バガボンドはどうなるか不明だ。
ロッキーも5のリハビリがきつかったねえ。

一発屋は、
大抵そのチートの新しいパターンを発明した人であり、
かつそのパターン以外を発明できなかった人のことではないかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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