2016年10月07日

主張を配置する

キャラクターメイキングの話。


性格や外見よりも、
まず目的が第一である話はすでにしたと思う。

目的と、大まかな人間関係さえあれば、
プロットは組むことができる。
むしろ、プロットに性格や外見なんて設定は不必要である。


で、プロットを組み上げてからようやく、
目的に至る過去や、経歴や、
性格や外見、細かい人間関係(本編に登場しない人も含む)
などを考え始める。

つまり、論理的な人形から、
生きた人に肉をつけていくわけだ。

(逆に、プロットというのは、論理的な人形がおりなす段取りである)


さて、
僕のやり方だけど、
「その人の強い主張」を、
人間関係図のように配置することをよくやる。

強い主張というのは、命がけの主張に置き換えてもいい。
命より大事な、その人の哲学や考えや態度みたいなことをだ。
その人が心から叫び、それをねじ曲げられたら激しく抵抗する何かだ。
たとえば自分なら何があるか考えればいい。

僕はそうだな、
不味い飯で仕事するのは許せないし、
段取りが合理的でないバカは許せないし、
面白くない映画もCMも許せないし、
メアリースーが大嫌いだ。

こういう風に否定形でもいいし、肯定形で作ってもよい。
主人公だけでなく、
全メイン登場人物についてやること。



さて本題。
主人公のその主張は、おそらくその話のテーマに関係する。
その主張が世間に受け入れられなくて、
最終的には皆がそれを良いと思う社会が実現する、
そういう話になるはずである。

敵またはライバル(アンタゴニスト)がいる場合、
それの真逆の主張、
それと最も矛盾する主張、
それと激しく対立する主張になるだろう。

おそらくは、その人の主張が最初は支配的で、
主人公の奮闘により敗北するような価値観であろう。
そのようにメインプロットが組まれているはずだ。


もしそれらの対立や矛盾が緩いのなら、
それを激しく強くしてみよう。
その二つの主張をぶつけ合うほどにしていこう。
その主張を命がけに主張するほどの理由を作ろう。

もし対立する場面があるならば、
怒鳴り、叫び、つかみかかり、殴ってでも相手の主張を否定するような、
そういう対立を作ろう。
互いに、相手の主張が世の中にはびこるのが許せないように、
このメインのふたつは作られるべきだ。


正義と悪、働き者と怠け者、賢さと愚かさ、
などのような分かりやすい対立だと、
分かりやすい、全ての人が理解できる物語になる。

人生はやり直せる/人生は失敗したら終わり、
なんて微妙で複雑な対立は、大人向けの話になる。

どんなものでもいい。
メインプロットがメインコンフリクトになるためには、
このような主張の対立が必要だ。


そもそも人間は同じ人は一人もいない。
考えや主張は、全員がバラバラで、
あるところは同じか似ている。
それが人間である。
似たところは理解しあい、対立するところは喧嘩する、
それが人間であり、
その経緯が物語である。

それが面白くなるときは、真逆で激しい対立というわけだ。


ラブストーリーでも原理は同じだ。
ヒロインとヒーローの主張は違い、対立することが多い。
それがある部分で一致を見たとき、人は恋に落ちるのかも知れないね。

主張はひとつとは限らない。
複数あっていい。
その人の中で矛盾しなければ何でもいい。

その中のどれかとどれかが、ビビッと来たり、
妥協できる範囲内まで近づけば、
人は仲間になるのだろう。

あとは主張が変わることもあるわけで、
それが変化というものだ。


さて、
メインの二人以外の主張についても配置しよう。

脇役については、激しい主張でないほうが、
対立を穏やかに出来るだろう。

主人公とアンタゴニスト以外のメインの人々の主張が、
なるべく矛盾したり、同じところが微妙にあると、
人間関係が濃く、複雑になってゆく。

あとはそれが対立しやすいような場面を作ったり、
相手のそれを深く知るような場面を作ったり、
誤解するようなストーリーラインを組んだり、
対立しやすいように設定を変えてみたりするとよい。


性格や外見だけでは、
このような深い対立や仲間意識は生まれない。
僕が性格や外見の設定を鼻で笑う理由は、
このことを知っているからかも知れない。

たとえば趣味を設定するときだって、
その人の主張にとても合うところがあるから、
その趣味を愛していると作ることが出来る。
持ち物や住むところへの愛着、
逆に嫌悪を作ることも出来る。
それは彼または彼女の、個人的主張と関係しているはずだ。


またまた気をつけるべきは、
その個人的主張とあなたの個人的主張を近づけないことだ。
それはあなたの一方的思い入れを生んでしまい、
公平な物語づくりのバランスが壊れる。
なるべくなら、あなたと等距離を保てる主張群を作れるとよい。
(実際にはなかなか難しいので、
明らかな悪役に、あなたが憎む主張を持ってくると良いだろう)

あくまで他人と他人のぶつかり合いを面白く描く台本を、
あなたは作っていることを忘れてはならない。
プロレスのアングルを作るようなものだ、
と割り切ろう。
その対立主張のセットこそが、
物語の中心になるのである。


参考までに、
今僕の構想中の映画(小説にするかも)の、
主張の配置をあげてみる。
もう少し練っていくつもりだけど、
大まかなベースはこういうことかな、
という一覧表だ。

モザイクになってるところは秘密。

主張の配置.pdf

実は特殊な世界を描こうとしているのだが、
各人の主張は、「どの世界でも成り立つような配置」になっていることに注意されたい。
たとえば会社もの、芸能界もの、SF、時代劇でも通用するような、
主張の組になっている。
これが感情移入、人間ドラマとしての深みを保証するわけだ。
あとはプロットとこれを組み合わせて更に面白くなるように、
煮詰めていくわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 17:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして、ラヴィシングと申します。
シンゴジラの批評大変興味深く読ませていただきました。
所々私が感じていたことと一致していて驚きました(私の感想は「シン・ゴジラ否定派の暴論」という題でtogetterにあります)。
映画と真摯に向き合っていて、その姿勢にも感服しました。
素敵な文章をありがとうございました。




Posted by ラヴィシング at 2016年10月07日 22:12
ラヴィシング様コメントありがとうございます。

ざっくり言うと「映画脚本としては三流」だと思います。
その他がしっかり出来ているので、
みんな見た目に騙されて本質を見ていないだけです。

何かの評論で読みましたが、
「政府が仮想敵で団結するということがファンタジーであり、
太平洋戦争下では陸軍と海軍が派閥争いをしていた」
というのはリアルだなあと思いました。
福島原発のときですら東電擁護甚だしかったしねえ。
人間たちが団結するのは、リーダーという神輿がいるときではないですかねえ。
リアルな民主主義は、原理的にスピードが遅く出来ているので、
ネット民みたいな団結はあり得ないと思われます。
熊本震災ですらレイプや火事場泥棒が横行したというのに、
綺麗事言えない世の中になりつつありますね。

ひょっとしたらこの映画が快感な人は、
現実ではあり得ない一体感、ネットの祭りを経験してる、
ネット民だけではないかという予感がします。
だから同調圧力が強いのではないかと。

あと、出来ればゴジラ批評の記事にコメントしてほしかった…
Posted by おおおかとしひこ at 2016年10月08日 09:26
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