キャラクターメイキングの話。
性格や外見よりも、
まず目的が第一である話はすでにしたと思う。
目的と、大まかな人間関係さえあれば、
プロットは組むことができる。
むしろ、プロットに性格や外見なんて設定は不必要である。
で、プロットを組み上げてからようやく、
目的に至る過去や、経歴や、
性格や外見、細かい人間関係(本編に登場しない人も含む)
などを考え始める。
つまり、論理的な人形から、
生きた人に肉をつけていくわけだ。
(逆に、プロットというのは、論理的な人形がおりなす段取りである)
さて、
僕のやり方だけど、
「その人の強い主張」を、
人間関係図のように配置することをよくやる。
強い主張というのは、命がけの主張に置き換えてもいい。
命より大事な、その人の哲学や考えや態度みたいなことをだ。
その人が心から叫び、それをねじ曲げられたら激しく抵抗する何かだ。
たとえば自分なら何があるか考えればいい。
僕はそうだな、
不味い飯で仕事するのは許せないし、
段取りが合理的でないバカは許せないし、
面白くない映画もCMも許せないし、
メアリースーが大嫌いだ。
こういう風に否定形でもいいし、肯定形で作ってもよい。
主人公だけでなく、
全メイン登場人物についてやること。
さて本題。
主人公のその主張は、おそらくその話のテーマに関係する。
その主張が世間に受け入れられなくて、
最終的には皆がそれを良いと思う社会が実現する、
そういう話になるはずである。
敵またはライバル(アンタゴニスト)がいる場合、
それの真逆の主張、
それと最も矛盾する主張、
それと激しく対立する主張になるだろう。
おそらくは、その人の主張が最初は支配的で、
主人公の奮闘により敗北するような価値観であろう。
そのようにメインプロットが組まれているはずだ。
もしそれらの対立や矛盾が緩いのなら、
それを激しく強くしてみよう。
その二つの主張をぶつけ合うほどにしていこう。
その主張を命がけに主張するほどの理由を作ろう。
もし対立する場面があるならば、
怒鳴り、叫び、つかみかかり、殴ってでも相手の主張を否定するような、
そういう対立を作ろう。
互いに、相手の主張が世の中にはびこるのが許せないように、
このメインのふたつは作られるべきだ。
正義と悪、働き者と怠け者、賢さと愚かさ、
などのような分かりやすい対立だと、
分かりやすい、全ての人が理解できる物語になる。
人生はやり直せる/人生は失敗したら終わり、
なんて微妙で複雑な対立は、大人向けの話になる。
どんなものでもいい。
メインプロットがメインコンフリクトになるためには、
このような主張の対立が必要だ。
そもそも人間は同じ人は一人もいない。
考えや主張は、全員がバラバラで、
あるところは同じか似ている。
それが人間である。
似たところは理解しあい、対立するところは喧嘩する、
それが人間であり、
その経緯が物語である。
それが面白くなるときは、真逆で激しい対立というわけだ。
ラブストーリーでも原理は同じだ。
ヒロインとヒーローの主張は違い、対立することが多い。
それがある部分で一致を見たとき、人は恋に落ちるのかも知れないね。
主張はひとつとは限らない。
複数あっていい。
その人の中で矛盾しなければ何でもいい。
その中のどれかとどれかが、ビビッと来たり、
妥協できる範囲内まで近づけば、
人は仲間になるのだろう。
あとは主張が変わることもあるわけで、
それが変化というものだ。
さて、
メインの二人以外の主張についても配置しよう。
脇役については、激しい主張でないほうが、
対立を穏やかに出来るだろう。
主人公とアンタゴニスト以外のメインの人々の主張が、
なるべく矛盾したり、同じところが微妙にあると、
人間関係が濃く、複雑になってゆく。
あとはそれが対立しやすいような場面を作ったり、
相手のそれを深く知るような場面を作ったり、
誤解するようなストーリーラインを組んだり、
対立しやすいように設定を変えてみたりするとよい。
性格や外見だけでは、
このような深い対立や仲間意識は生まれない。
僕が性格や外見の設定を鼻で笑う理由は、
このことを知っているからかも知れない。
たとえば趣味を設定するときだって、
その人の主張にとても合うところがあるから、
その趣味を愛していると作ることが出来る。
持ち物や住むところへの愛着、
逆に嫌悪を作ることも出来る。
それは彼または彼女の、個人的主張と関係しているはずだ。
またまた気をつけるべきは、
その個人的主張とあなたの個人的主張を近づけないことだ。
それはあなたの一方的思い入れを生んでしまい、
公平な物語づくりのバランスが壊れる。
なるべくなら、あなたと等距離を保てる主張群を作れるとよい。
(実際にはなかなか難しいので、
明らかな悪役に、あなたが憎む主張を持ってくると良いだろう)
あくまで他人と他人のぶつかり合いを面白く描く台本を、
あなたは作っていることを忘れてはならない。
プロレスのアングルを作るようなものだ、
と割り切ろう。
その対立主張のセットこそが、
物語の中心になるのである。
参考までに、
今僕の構想中の映画(小説にするかも)の、
主張の配置をあげてみる。
もう少し練っていくつもりだけど、
大まかなベースはこういうことかな、
という一覧表だ。
モザイクになってるところは秘密。
主張の配置.pdf
実は特殊な世界を描こうとしているのだが、
各人の主張は、「どの世界でも成り立つような配置」になっていることに注意されたい。
たとえば会社もの、芸能界もの、SF、時代劇でも通用するような、
主張の組になっている。
これが感情移入、人間ドラマとしての深みを保証するわけだ。
あとはプロットとこれを組み合わせて更に面白くなるように、
煮詰めていくわけだ。
2016年10月07日
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シンゴジラの批評大変興味深く読ませていただきました。
所々私が感じていたことと一致していて驚きました(私の感想は「シン・ゴジラ否定派の暴論」という題でtogetterにあります)。
映画と真摯に向き合っていて、その姿勢にも感服しました。
素敵な文章をありがとうございました。
ざっくり言うと「映画脚本としては三流」だと思います。
その他がしっかり出来ているので、
みんな見た目に騙されて本質を見ていないだけです。
何かの評論で読みましたが、
「政府が仮想敵で団結するということがファンタジーであり、
太平洋戦争下では陸軍と海軍が派閥争いをしていた」
というのはリアルだなあと思いました。
福島原発のときですら東電擁護甚だしかったしねえ。
人間たちが団結するのは、リーダーという神輿がいるときではないですかねえ。
リアルな民主主義は、原理的にスピードが遅く出来ているので、
ネット民みたいな団結はあり得ないと思われます。
熊本震災ですらレイプや火事場泥棒が横行したというのに、
綺麗事言えない世の中になりつつありますね。
ひょっとしたらこの映画が快感な人は、
現実ではあり得ない一体感、ネットの祭りを経験してる、
ネット民だけではないかという予感がします。
だから同調圧力が強いのではないかと。
あと、出来ればゴジラ批評の記事にコメントしてほしかった…