2016年10月09日

CM中止騒動と、下手なストーリー表現について考える

CMという表現が、たかがクレーマーの戯れ言で放送自粛に至る、
その構造は滑稽ですらある。

表現は誰かの心に刺さる為にある。
それは、別の人には嫌われる、強い表現であるということだ。

日本企業のことなかれ主義が、
表現の自由を奪う言葉狩りになっている現状に激しく抗議したい。
この日本企業には、テレビ局や出版社や映画会社など、
あらゆる「表現」を扱う企業も含まれる。

ところで。

僕は、放送中止に追い込まれたCMは、たいてい、
「下手くそなストーリーテリング」だと考えている。
脚本論の立場から、その構造を明らかにしたい。


例にあげるのは、
渦中の資生堂CM「25歳からは女の子じゃない」、
ルミネ(これに関しては過去議論した)、
東京ガスの就活生のやつ、
の3本だ。

これらのストーリーには構造的特徴がある。

冒頭から後半の転まで、
ひたすらネガティブな現状を並べている(スプレッド)
ところだ。
そして後半の転に至って商品が登場し、
「努力せずにその商品で幸せになれる」
ことを伝える構造である。


下手くそなポイントはふたつ。

1. 何の努力もせずに、その不幸を変える魔法の存在を示すこと
2. ストーリー構造が単純すぎること

だ。


1.については、
このブログで頻繁に出る、
メアリースーというやつだ。

人は、勝手に幸せになるやつが許せない。
かつ、自分が努力せずに幸せになるのは最高、
と考える仕組みのことである。

未熟な書き手が書くと、
主人公に自分を投影してしまい、
努力せずに幸せになる瞬間を書いて悦に入る。
しかしそれは他人から見ると、努力せずに幸せになった勝ち組、
という構造である。

(あるいは、自分は甘えたいのに、
他人が甘えるのを見ると「甘えんな!」と他人を排除する心理も、
この裏返しだと考える。今回の資生堂の炎上はこれかな)


ところで、全てのCMは、
「努力せずに幸せになれる、この商品を買うならば」
というメッセージを潜在的に持っている。
しかしそれに気づかれたらアウトだ。
仕組みがばれて購買意欲が下がるからだ。
だから殆どのCMは、15秒や30秒という短い時間で、
相手に気づかれる暇を与えずに逃げ切る。
先行逃げ切りである。
「努力せずに幸せになれる、この商品を買うならば」
というメッセージを意識下に刷り込む。
何度も見ることで。

そもそも商品社会というのは、そのようなものだ。
何でも金と引き換えである。
努力や辛さは必要ない、金と交換すれば、
というのが商品の正体であるからだ。
(どうしても必要な生活必需品や最低限の医療などだけだったら、
質素で何でも自分でする、原始的な状態になるだろう。
何でも出来るのなら商品は買わなくていい。
車に乗る代わりに馬に乗り、馬を世話すればいいわけだから。
つまり、商品は怠惰と引き換えである。
ついでに車は、次の怠惰、自動運転を目指しているね)

15秒や30秒という短時間では、
このような構造に気づかれないまま、
先行逃げ切りが出来た。

さて、炎上CMだ。
どれも、それ以上の長い尺なのだ。

つまり、メアリースー的ストーリー構造がばれてしまう、
人が落ち着いて考える暇を、与えてしまったのだね。

もう少し巧妙に、
この商品を買ったあとの幸せについて、
印象を深めるべきだった。
前半をブスがやって、化粧したら美人タレントになる、
という構造なら、より炎上するオモシロCMになったんじゃないかな?



2.の論点。

そもそもメアリースーなのだから、
発想が乏しいのである。
ゴールが「努力せずに幸せになる」だから、
その前は、努力せずに不幸な私(一人称)を、
描くので精一杯なわけだ。
だから、前半から中盤、後半の転まで、
フラットに不幸が並べられるだけなのである。

就活生では、その苦労を見るのが痛々しいとクレームが入った。
ルミネや資生堂では、女の嫌な現実が「差別的」とクレームが入った。

このクレームは半分は正しい。
だって、
「不幸→幸福」というストーリー構造なのだから、
その不幸を描かなくては幸福を描けない。
その対比の距離が幸福の価値だからである。
だから、不幸はリアルな不幸ほど良い。
だから、それが「不幸で見てられない」というクレームは、
表現の成功でもあるわけだ。


問題は、「その不幸が劇的に解決する」ことが描かれていないことなのだ。


たかが化粧品を買うくらいで、
25歳以上の女が不幸と引き換えの幸福を得られるわけではない。
たかが服を買うくらいで、
同僚や上司のセクハラが解決するほどの幸福を得られるわけではない。
たかがガスの弁当ひとつで、
就活氷河期が解決するほどの幸福を得られるわけではない。

個人的には解決するかも知れないが、
どのCMも、個人として主人公を描けていない。
結果、万人に当てはまることですよ、
ということになってしまっている。

つまりはそこだ。
不幸と幸福の引き換えのバランスが悪いのである。

これは、そもそも、
「不幸→幸福」という単純なストーリー構造にしてしまったことの問題だ。
つまりは「使用前使用後」という単純な比較しかしていないわけなのだ。
それにしては使用前の写真が、
不幸すぎてムカつく出来になっているわけだ。


解決策は何か?

もっと長い尺に応じた、
見事なストーリー構造を書くべきだった、と言える。
個人として主人公を描く、
感情移入に至る特別な物語を作り、
万人に受け入れられる素晴らしい結末にするべきだったのだ。


今CMは過渡期にある。
テレビCMをつくらず、Webに移行しようとしている。
何故なら電波代を出す資金が企業にないからだ。
映像自体の製作費より、電波代は10倍かかる仕組みだ。

だとしたら映像はちゃんとつくって、
テレビの電波を買わず、Webサイトにあげた方が安くつく、
という流れになりかかっている。

テレビは15秒30秒だったのが、Webは秒数制限がない。
ここで、短い尺に助けられていたことの、
タガが思い切り外れている。

つまり、下手なストーリー表現が、
白日の元に晒されることになったわけだ。


本当の解決策は、
見応えのある面白いストーリーを作ることだ。
しかしその才能は今のCM界にはない。
俺みたいな個人はいるが、チームとしてそれを潰してしまう傾向にある。
(最近あったその件はいつか暴露したい)

だからストーリーものは廃れて、
単純に商品スペックを垂れ流すただの商品広告に、
Webは成り下がっていく、
というのが僕の推測である。

何故なら、人(人という集団)は低きに流れるからである。

僕がリーダーシップを取れるチームがあればまた別かも知れないが、
今のところそういう依頼がないのは残念だ。



さて、
もっと面白いストーリーを見せてくれよ。
下手くそだから、文句言われて言い返せないんだぜ。

(この炎上騒ぎが政治的人身御供という件に関しては、
別の記事で議論するかもだ)
posted by おおおかとしひこ at 12:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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