2016年10月12日

サブプロットはなんの為にあるか

メインプロットを複雑にする為にあるのだ。


メインプロットだけだと、ストーリーはとても単純になる。

問題が起こった→解決にいどむ(数段階のステップ)→解決

という、一本道になる。
数学の証明とか、計画の素直な実行のようだ。
合理的実行かもしれないが、味気がない。
現実はもっと泥臭くて、数学のようにきれいに割り切れない問題ばかりである。
サブプロットは、こうした現実的なことを反映させるためにある。

サブプロットの存在によって、
メインプロットは、
すっきりとした計画表のようにいかなくなる。
問題が増え、複雑化し、一筋縄ではいかなくなり、
あっちを立てればこっちが立たず、な、
にっちもさっちも行かない状況に追い込まれる。
それがサブプロットの存在意義だ。

つまり、ストレートな一本道を、
歪めて、面白くするためにあるのだ。

サブプロットの存在によって、
話は面白くならなければならない。

ただ複雑になり、ややこしくなり、詰まらなくなるのなら、
そのサブプロットは、
いかにリアリティーの担保になったとしても不要だ。

サブプロットの存在によって、
話は、より面白くならなければならないのである。

分りやすいのはドラマ風魔の陽炎のサブプロットである。
陽炎は「未来世紀ウラシマン」(1983、タツノコプロ)における、
ルードヴィッヒと同じ役割を目指して
創作されたキャラクターであることは前にも書いた。
つまりは第三勢力だ。
Zガンダムにおけるハマーン、
ドラゴンボールのサイヤ人編におけるピッコロのような、
対立する二大勢力をかきまわすことで、話が面白くなる第三勢力である。
(ハマーンがそれができたかどうかは、少しあやしい)
ルードヴィッヒよりは、影から人形遣いのように壬生を操る存在だったが、
陽炎と壬生の存在によって、
単なる風魔vs夜叉という対立構造が壊れ、
後半戦を面白くしたのはみなさん目撃のことと思う。


サブプロットは、メインプロットを、
複雑に面白くする為にある。

逆に言えば、メインプロットだけで成立するほど面白ければ、
サブプロットなど余計なのだ。
登場人物がどんどん増え、サブプロットがどんどん増えるような作品は、
面白いメインプロット一本で勝負できない、
決断力の弱さの表れでもあるよね。

このサブプロットを削ったら、詰まらなくなるか?
このサブプロットを足したら、面白くなるか?
まずそれを基準に、
サブ登場人物、サブテーマ、サブ目的、サブコンフリクトを検討してみよう。
面白い方向に、作品をすすめよう。

だけど、サブプロットをメインプロットの出来が悪い、
逃げ道にしてはならない。
だったらそのサブプロットをメインプロットに昇格させて、
作り直せばいいのだ。
そもそも強力で面白い、危険があり、ひきつけられる、
メインプロット、メインテーマ、メインコンフリクトが出来ていないのに、
安易にサブプロットに逃げないことだけは注意されたい。


ということで、サブプロットは、調味料のようなものである。
それが加わることで旨くなるべきであり、
唐辛子入れすぎの、そもそも何を喰うんだか分らない、
激辛担々麺みたいにならないことだ。
(自由が丘に最近できた担々麺専門店がそんな感じで、今なえている)
だったら最初から、それなしで成立するものを作るべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック