2016年10月16日

「日本の一番長い日」と「シンゴジラ」比較論

シンゴジラがこの映画を参考にした、
という話を聞いていて、未見だったのでようやく見れた。

結論。
この映画の表面的なパクりに過ぎなかった。


形式と内容の話だ。
ガワと中身といってもいい。

「日本の一番長い日」は、
終戦決定から玉音放送に至る日の、24時間。
軍部の若者の暴走(皇居占拠)と、
閣議決定に至るまでの、
陸軍大臣の切腹に至る覚悟を描く。

人は愚かだ。
これまでやって来たことを変えることは、
自説を曲げることになる。
それは過去への裏切りである。
個人の中でもあるし、
集団の中でもある。

日本人はこの映画が作られた当時、60年代から、
何か進歩したかな。
デバイスは進歩しても、
何一つ中身は進歩していない。
それを愚かと思わないのだろうか?
同じく、終戦の40年代から、
日本人は進歩していないだろう。

そういう批判が主なテーマの映画であった。


さてシンゴジラ。

ガワの構造がそっくりである。
閣議の描写。
早口で意味を取りにくい専門用語の連打。
主役を認めない総力戦の感じ。
それをオールスターキャストでやる。
あと毎回毎回出る字幕。

この大人の都合と、
子供っぽい破壊画面とを同時進行するカットバック。

その形式がそっくりである。

「日本の一番長い日」は、
陸軍の責任を取る大臣の切腹と、
皇居占拠の若者の暴走を対比させている。

シンゴジラはどうか。
おたおたするが次第に覚醒していく政府集団と、
海から来た怪獣を対比しているわけだ。

表現形式が似ていながら、
その中身は全く違う。


前者は終わりを描いている。
いみじくも志村僑が「日本帝国の葬式」と言っていた。
終わりを描き、愚かさを浮き彫りにする。

後者は「日本は終わっていない」ことを描こうとしている。
何故だか上手くいく、つまはじきもの達のチームが、
大人達の都合を凌駕する、寄せ集めの作戦を成功させる。

僕は、表現は内容の反映であるべきだと考える。
勿論、ガワと中身をわざとずらすのも一種のテクニックだけど、
それをやるのは若者のカッコつけに過ぎない。
本当に価値があるのなら、
素直に表現するのが最も合理的だと考える。
(それが受けるとか、売れるとかは、また別の問題だ)

「日本の一番長い日」は、
形式主義の愚かさを描くために、
その表現手法を使ったと思う。

「シンゴジラ」はどうか。
最初は「日本の一番長い日」と同様に、
現政府の愚かさを描くために使った。
しかし主人公に主導権が移ってからは、
その形式をヒロイズムに使ったと思う。
かっこよさに使ったと思う。

つまりは、軍国主義カッケーという風に使ったと思う。
軍歌はカッコいい、軍服はカッコいい、兵器はカッコいい、
そういう感じにだ。
(もっと極端にいうと、ひ弱なオタクが、権威の格好をして、
それで全能感を持っている。じゃじゃ馬のいい女が何故かなびく)

「日本の一番長い日」は、
それを愚かであると批判している。
「シンゴジラ」は、
最初は批判しながら、いざ権力を取ったらそれを利用している。

中身は真逆である。



「日本の一番長い日」の、
どこを見ていればそうなるのか、
僕にはさっぱり分からない。
庵野はどこを見ていたらそうなるんだ?
「この表現形式(ガワ)をパクろう」と思いながら見ない限り、
この表現形式をこの内容に使う、
意味が分からない。


岡本喜八という監督はなんだか苦手で、
僕はずっと避けてきたのだけど、
ちょっと見てみようかと思った。
そういえば何で黒澤はこれをやんなかったのだろう。
その辺も調べなきゃ。
posted by おおおかとしひこ at 18:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
同監督のエヴァやトップをねらえといった作品は
「日本のいちばん長い日」以外に
「激動の昭和史 沖縄決戦」
「ブルークリスマス」
からもよく引用してます。

とはいえ、形態模写の庵野さんですからね。
そこはインスパイアというよりもモロパクですが(笑)

余談ながら押井守の「パトレイバー」の後藤隊長というのは、岡本喜八の「殺人狂時代」の仲代達矢がイメージソースみたいです。

これらの岡本喜八作品はどれも今の邦画には廃れてしまった雰囲気の作品ですので、是非!
Posted by どら at 2016年10月17日 08:16
どら様コメントありがとうございます。

近くのツタヤに岡本喜八コーナーがありながら、
独立愚連隊も兵隊やくざも置いてなく、
渋谷まで遠征するか、と画策しております。

しかし形態模写とは言い得て妙。
でも上手い物真似の人は、
形態より本質を真似するものだがなあ。

ファッション岡本喜八じゃねえか、
と揶揄出来るほどには岡本作品に潜るつもりであります。
東宝の黄金時代って、
結局あの時代なのかも知れず、
現東宝映画はその呪縛の夢をまだ見ているのかも知れない。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年10月17日 11:14
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