2016年10月17日

場面を変えて誤魔化すな

色々苦しくなって、
場面を変えて誤魔化してしまうことはよくある。
プロでもだ。
たとえば、この先どうなるか思いつかなくて、
場面を変えて別のストーリーを挟み込み、
前の場面の決着がついたところから始めるやり方だ。

それは逃げだ。
ばれなきゃいいわけではない。
それは大抵ばれている。


この先どうなるか、作者にも分からなくなってしまうことは、
まれによくある。

シドフィールドは、
この先の場面を5通りぐらい考えて、
一番面白いやつを書け、なんて書いている。
以前議論したテヅカチャートの実戦編みたいなことだ。

僕は、作者は全て知っているべきだと思う。
つまり、作者にも分からなくなってしまうことは、
要するに準備不足だ。

準備不足なのだから、
一度立ち止まって、準備に戻ればいい。
困った場面のその先に必要なことを、
今の場面か、
前のどこかの場面に仕込めばいい。
それを利用して、先に進むことが出来るはずだ。


困ったので場面転換をするのは、
要するにスプレッドをしてしまっている。
困った場面が結果的に増えていくだけだろう。

たとえばクリストファーノーランの映画は、
数本のストーリーのカットバック進行だが、
それらのストーリーを単品で取り出しても、
全然面白くない。
それは、面白くないストーリーを、
場面転換で誤魔化しているのである。

極端な例は、いつもの「マルホランドドライブ」だ。
謎を振りまいたら、その先がなく、
次の謎の話へ進んでしまう。
結局どの謎も解明されず、
風呂敷を広げきって終わってしまう。
それは単なるスプレッド地獄になるだけだ。
ストーリーというのは、
その風呂敷を綺麗に畳んでいくのが後半だ。

つまり、畳み方も分からないのに、
広げるだけ広げるのは、未熟者の証拠だ。
オモチャで散々遊んで、片付けが出来ない子供のようだ。

場面転換して、苦しさから逃げるのは、
要するにそういうことをしてるだけだ。

事態を進めよう。
焦点を維持するか、次の焦点へ導こう。
目先を変えて誤魔化すのではなく、
次の展開に話を深化させるべきだ。

その場面である程度決着がつき、
次の焦点が生まれる、
すなわちターニングポイントが訪れるまで、
そのシーンから逃げてはならない。
そのシーンの終わりが見えるまで、
そのシーンを書き出さないことだ。

つまり、シーンはターニングポイントで終わるべきであり、
ヒキで終わるべきではない。


連載形式はまた別の話。
逆にいうと、連載形式のヒキの場面は、
映画的シナリオに取り込みにくい。
漫画が映画になりにくいのは、こうした理由もある。
(あるいは連ドラの面白いものが、
映画にすると面白くないのは、
ヒキが機能しないからだ)
posted by おおおかとしひこ at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック