2016年10月18日

【ジェーソンさんへの回答箱2】ミッドポイント論2

そもそも論。
ミッドポイントは、ターニングポイントであること。
つまり、焦点を変えるポイントであること。


僕の経験則で、山場を持ってくるのは、
その前後になんらかの決定が下されて、
前半の焦点と、後半の焦点ががらりと変わりやすいからです。

ミッドポイントがない場合のことを考えると、
前半の焦点と後半の焦点が、
がらりと変わるポイントがない、
ということになります。
別にこれで退屈せず面白ければ、
なんの問題もないと考えます。

ミッドポイントは観客のものというより、
書き手の目印のような気がします。
ミッドポイントが存在するとすれば、
前半の焦点と後半の焦点を考えざるを得ず、
これはどういう話であるべきか、
と考えざるを得ないので。

逆にいうと、
前半の焦点と後半の焦点ががらりと変わる話は、
構造が分かりやすくはっきりしていて、
メリハリが効いている、というわけです。

僕がはじめてミッドポイントという概念に触れたのは、
シドフィールドの出した例「チャイナタウン」の中の、
「犯人の目星がつく」です。
つまり、前半の焦点「犯人が誰か推理する」と、
後半の焦点「その犯人を追い、捕まえる」が、
がらりと変わるというわけです。

しかし実際に観客として見ていると、
普通の段取りに見えました。
犯人を捕まえる話なんだから、
前半は絞り、後半は捕まえるになるのは当然だろうと。
尺の真ん中に来る必要は、特に感じませんでした。
(たとえば第二ターニングポイントに犯人が分かる、
というのを持ってきても良いはず)

リライトの際にミッドポイントが変わりうる、
と先に書いたのはここです。

つまり、前半の焦点と後半の焦点ががらりと変わるように、
最初から書けるわけではない、
という僕の実力をかんがみて、
この経験則を導き出しているわけです。

ミッドポイントをはっきり見出だしたことで、
前半の焦点と後半の焦点を意識するようになり、
場面の入れ換えやリライトの基準がはっきりする、
ミッドポイントが変更されれば、
前半の焦点と後半の焦点が変わり、
それに合わせて二幕全体をまた再構成する、
なんてことを、
僕はリライトの最中よくやるからです。

だから、実際の山場が真ん中らへんにあったとしても、
その前にミッドポイントがあったり、
それが終わってからミッドポイントがあったりします。
山場と前半後半の焦点の分け目とは、
関係なかったり。

それでも山場を持ってくることで、
二幕全体の設計はしやすいですね。

ドラマ風魔の例では、
壬生の離反と聖剣登場が、前半の焦点「風魔対夜叉」と、
後半の焦点「聖剣同士の決戦」をわかつものでした。
で、主人公小次郎の立場からすると、
「風林火山を訳もわからず使った瞬間」が、
彼にとってのミッドポイントとなります。
原作における風林火山登場は、
どちらかというと第二ターニングポイントですが、
その唐突感を拭うために、
風林火山と黄金剣はミッドポイントに配置したわけです。
そうすると単なる風魔対夜叉では構図が詰まらなくなるので、
壬生と陽炎の謀反で、構図を変えたわけですな。

ストーリー全体のミッドポイントは壬生の離反、
主人公(感情移入の対象)のミッドポイントは風林火山、
大きな山場としては、柳生屋敷での黄金剣対風林火山、
という風に、
山場の周りにミッドポイントをくっつけるのが、
なんとなく僕のやり方のような気がしています。

ドラマ風魔は群像劇なので、
全体の構図(戦況)の構成と、
主人公のストーリーの構成が、少しずれていたりします。
それも一種の魅力になるようにはしてます。
全体から遅れる主人公が、全体を動かす男に成長していくわけなので。


前半の焦点と後半の焦点ががらりと変わるターニングポイント、
というのがミッドポイントの定義ではあると思いますが、
僕は必ずしも必要だとは思っていません。
ミッドポイントは結果的にあり、
俯瞰したときに発見できる、
と考えています。
posted by おおおかとしひこ at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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