そもそも論。
ミッドポイントは、ターニングポイントであること。
つまり、焦点を変えるポイントであること。
僕の経験則で、山場を持ってくるのは、
その前後になんらかの決定が下されて、
前半の焦点と、後半の焦点ががらりと変わりやすいからです。
ミッドポイントがない場合のことを考えると、
前半の焦点と後半の焦点が、
がらりと変わるポイントがない、
ということになります。
別にこれで退屈せず面白ければ、
なんの問題もないと考えます。
ミッドポイントは観客のものというより、
書き手の目印のような気がします。
ミッドポイントが存在するとすれば、
前半の焦点と後半の焦点を考えざるを得ず、
これはどういう話であるべきか、
と考えざるを得ないので。
逆にいうと、
前半の焦点と後半の焦点ががらりと変わる話は、
構造が分かりやすくはっきりしていて、
メリハリが効いている、というわけです。
僕がはじめてミッドポイントという概念に触れたのは、
シドフィールドの出した例「チャイナタウン」の中の、
「犯人の目星がつく」です。
つまり、前半の焦点「犯人が誰か推理する」と、
後半の焦点「その犯人を追い、捕まえる」が、
がらりと変わるというわけです。
しかし実際に観客として見ていると、
普通の段取りに見えました。
犯人を捕まえる話なんだから、
前半は絞り、後半は捕まえるになるのは当然だろうと。
尺の真ん中に来る必要は、特に感じませんでした。
(たとえば第二ターニングポイントに犯人が分かる、
というのを持ってきても良いはず)
リライトの際にミッドポイントが変わりうる、
と先に書いたのはここです。
つまり、前半の焦点と後半の焦点ががらりと変わるように、
最初から書けるわけではない、
という僕の実力をかんがみて、
この経験則を導き出しているわけです。
ミッドポイントをはっきり見出だしたことで、
前半の焦点と後半の焦点を意識するようになり、
場面の入れ換えやリライトの基準がはっきりする、
ミッドポイントが変更されれば、
前半の焦点と後半の焦点が変わり、
それに合わせて二幕全体をまた再構成する、
なんてことを、
僕はリライトの最中よくやるからです。
だから、実際の山場が真ん中らへんにあったとしても、
その前にミッドポイントがあったり、
それが終わってからミッドポイントがあったりします。
山場と前半後半の焦点の分け目とは、
関係なかったり。
それでも山場を持ってくることで、
二幕全体の設計はしやすいですね。
ドラマ風魔の例では、
壬生の離反と聖剣登場が、前半の焦点「風魔対夜叉」と、
後半の焦点「聖剣同士の決戦」をわかつものでした。
で、主人公小次郎の立場からすると、
「風林火山を訳もわからず使った瞬間」が、
彼にとってのミッドポイントとなります。
原作における風林火山登場は、
どちらかというと第二ターニングポイントですが、
その唐突感を拭うために、
風林火山と黄金剣はミッドポイントに配置したわけです。
そうすると単なる風魔対夜叉では構図が詰まらなくなるので、
壬生と陽炎の謀反で、構図を変えたわけですな。
ストーリー全体のミッドポイントは壬生の離反、
主人公(感情移入の対象)のミッドポイントは風林火山、
大きな山場としては、柳生屋敷での黄金剣対風林火山、
という風に、
山場の周りにミッドポイントをくっつけるのが、
なんとなく僕のやり方のような気がしています。
ドラマ風魔は群像劇なので、
全体の構図(戦況)の構成と、
主人公のストーリーの構成が、少しずれていたりします。
それも一種の魅力になるようにはしてます。
全体から遅れる主人公が、全体を動かす男に成長していくわけなので。
前半の焦点と後半の焦点ががらりと変わるターニングポイント、
というのがミッドポイントの定義ではあると思いますが、
僕は必ずしも必要だとは思っていません。
ミッドポイントは結果的にあり、
俯瞰したときに発見できる、
と考えています。
2016年10月18日
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