物語が、芸術が、
どうして、どうやって生まれるかは、僕にも分からない。
だけど二種類ありそうだ。
自然発生と人為発生だ。
自然発生とは、文字通り、
閃きによって最初の核が生まれ、
順調に育ち、
いつの間にか素晴らしいものが完成していることを言う。
実際そんなことは、一生に何回もあるだろうか。
恐らく、これを幼少の頃体験した人が、
自分は作家になれるとか、絵描きになれる、
という無前提の確信を持っているのかも知れない。
(幼少の頃なので、たいした出来ではなかっただろうが)
逆に人為発生とは、
枠を決めてそこに無理矢理発生させることをいう。
映画なら、
映画会社の年間本数を決めて、
それらに予算を割り振り、
観客層や季節などを考え、
編成するのは、
人為的に年間の映画を発生させているわけだ。
こんなん出来ましたけど、
という自然発生を小屋でかけるわけではない。
そこで年間かける映画は、
全て計画的に作った映画ばかりだ。
だから、観客のマーケティング、
ターゲット観客、投資と回収の見込み、
などが、作る前から計画されている。
つまり、プロデューサーや脚本家や監督は、
その計画に沿うものを、
人為的に発生させているわけだ。
そこまで計画出産的なことでもなく、
たとえば白紙を渡して、
「一週間後に面白いものを持ってきて」
などと依頼されれば、
人為的に発生せざるを得ない。
締め切りのせいで仕事が出来る、という経験則がある。
ほっといたらダラダラやっていつまでも完成しないから、
締め切りがあると人為的にでも完成させてしまう、
という原理である。
仕事には締め切りがあり、
仕事には出力先があり、
仕事には回収がある。
だから人為発生は、その最終目的に向けて出産させられる訳だ。
大抵はその目標を下回り、
偶然その目標を上回ったものを、ヒットというだけである。
理論とか技術とかは、
つまりは人為発生を手伝うものである。
あるいは、自然発生した生まれたてのものを、
上手く成長させるものでもある。
自然発生自然成長したものは、
切ったことのないモジャモジャの髪の毛になるかも知れない。
適度にハサミを入れて整えれば、素敵な髪型になる可能性が高いわけだ。
勿論、自然発生自然成長したものが、
誰の理論も技術も越えた、
革命的に物凄いものになる可能性もあるけど、
それを評価することは、凡人には難しい。
(だから売れない。
売れるのは、今売れ線のものだからで、
それは理解できるからである)
プロフェッショナルとは、
人為発生させ、人為成長させ、人為完成させる人々のことを言う。
しかし、それだけでは、
ロボットの大量生産のように、詰まらないものになる。
本来自然発生していた芸術の、
野性的面白みが失われるからである。
人為発生を商業主義、
自然発生を芸術主義、
などと言って対比させることはよくある。
商業主義は、
売れるものを作り、売り尽くし、
売れなくなったら次の売れるものを作る。
あるいは、売れそうなものを売れていると錯覚させて、
売れているブームを作る。
何を作るべきかという議論はない。
売れるものを、のみである。
流石にそれでは先細るから、
心ある人が次に何を作るべきか、常にアンテナを張り、
深く考えていたから、
次々にヒット作が回転していたのだろう。
(日本映画で言えば90年代から00年代、
日本の漫画やアニメで言えば80から90年代)
人為発生は、今、曲がり角に来ていると僕は考えている。
しかし自然発生を待っていては、
要求する作品の量に足りない。
だから、人為発生作品で時間稼ぎをしながら、
自然発生を待っていたのが、
少し前までのような気がする。
今、テレビドラマも映画も、
そんな余裕はなくなってしまった。
若者は減った。
媚びたマーケティングが作品性をめためたにし、
観客を育てることもしなくなった。
長引く不況とネットの発達が、
草の根の細々とした活動の息の根を止めている。
雑誌はいくつなくなった?
さてこの時代。
人為発生のジャンルは大丈夫か?
「シンゴジラ」「君の名は。」がなければ、
東宝はヤバかっただろう。
東映や松竹や角川大映は息をしてるのか?
アスミックや独立プロは何をしてるのか?
久しぶりにグラスホッパが新作を作ったらしい。
シネマライズもなくなった。パルコはどうなるのか。
00年代、次世代と呼ばれた若者は、
細々と中年を終えようとしている。
行定勲や、山下敦弘の名を、地方映画祭で見て愕然とした。
自然発生を待つ、というのはパトロンがいれば可能だ。
しかし回転は無理だろう。
ということで、
人為発生の理論と技術をコンスタントにやりながら、
偶然自然発生したものを、普段の技術で上手に育てる、
という方法論が、
今のところ現実的なような気がする。
個人的なことを言うと、
この春ぐらいに自然発生したかなり面白いやつが、
商業主義的に受けない判断を半年間され続けたので、
自主製作をしてコンペに出そうなどと、
学生以来のことをやろうとしている。
商業主義は、人為発生を理解しない。
それはまだ売れていないものだからだ。
今売れているものに似ていないものは、未知数として投資しない。
(金に余裕があった頃は勿論投資していて、
沢山失敗したがわずかな成功がジャンルを広げてきたのだ)
きみはどうする。
さっさと、
人為発生させて人為的に話を作る、
理論や技術を身につけ、
沢山実戦を踏むべきだと思う。
そもそもストーリーテリングの技術を身につけるには、
才能がなければ膨大な手間がかかる。
それは一重に経験の量だと僕は考えている。
自然発生を待っていては、いつまでも「描かない漫画家」だよね。
(周防正行ってその後どうなったのかねえ)
昨日から、初めて「アオイホノオ」を読み始めた。
しみるわ。
2016年10月23日
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