物語というものは、
目的をもった行動によって骨格が記述されるのであった。
その行動の成否により状況が変わり、
最終的にはこれ以上変化しない所に落ち着いて、
話は終わるのであった。
ところで、
ということは、登場人物全員は、
自分の目的を、
「しそう」でなければならない。
何かやらかしそうな危険なやつや、
淡々と遂行しそうなやつや、
黙って成し遂げるやつや、
有言実行タイプなと、
登場人物の性格タイプによって様々だろうけれど、
どの人物も、「しそう」でなければならない。
そうでなければ、
唐突に行動することになり、
不自然だからである。
しそうもない人物がそのことをしたとしても、
意外性が必要な文脈以外では、
唐突感のほうが大きい。
その人物は、いつかそのことをしそうであること。
そんな人物たちがひしめきあっていること。
一触即発の緊張があること。
その均衡を破って、誰かが行動する。
やはり、という思い。
その時が来たか、という思い。
思ったよりタイミングが早いという思い。
などなどを抱えて、
焦点はその行動の行方にフォーカスされていくわけだ。
(しそうもない人物が何かをして、
驚く仕掛けに出来るのは、
周りがみなしそうな人物である時だけだ。
意外はいつも逆をつくことでしか作られない)
あなたの話の登場人物は、
何かをしそうな人物たちとして描かれているか?
何もしそうにない一見ボンクラでも、
実は能力を隠していて、いざというときはやる奴なのでは、
という予想すら皆はするものだ。
何かしそうな奴が、せずに終わるのを、
噛ませとか出落ちなどという。
勿論それもハズシとしてはあり得る。
しかし真ん中は、あくまでも、
何かをしそうな奴が、本当にやってしまうときの緊張感である。
2016年10月24日
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