最新16巻まで、時に爆笑しながら、時に号泣しながら読んだ。
普段は三人称表現としての映画について書いている。
この漫画は映画にはならないだろう。
何故なら、これは主人公のモノローグ漫画だからだ。
三人称で起こる出来事
(トンコさんとのラブストーリー?や、
漫画やアニメや映画を作ることや、
上映会があることや、
免許を取り損ね見下されることや、
持ち込みをしていまいち、など)
よりも、
主人公の脳内で起こっていること
(嫉妬の炎や天にも昇る気持ちや、
負けないと思う心や、好きなものを徹底して語ることや、
なるべく手を抜こうと思うところや、
楽して偉くなりたいことなど)
のほうが、
遥かに面白い。
それがアオイホノオだ。
勿論、若者の青春なんて、
三人称的にドラマチックなことなんか起こるわけがない。
大抵はしょっぱい何かだ。
(腹筋とか、クリスマス会とか、お好み焼きとか、ボードゲームとか、
絶妙なしょっぱさだ。
トレンディードラマやホイチョイは、
それをオシャレに嘘をつき、憧れになったのである)
渦巻く心の何かこそ、
その情念こそが、この漫画の主題である。
だからこの漫画は、一人称漫画だと言っても過言ではない。
作中にもわずかに出てくるが、
これは島本版「男おいどん」である。
ドラマはない。
主人公の頭のなかにドラマがある。
それは過剰なる思い込みであるわけだ。
庵野ダイコンネタが、ずるいよね。
一番近くの目撃者という、
島本和彦の主人公ばりのセコイスタンスが、
またたまらんぜ。
しかし模写の上手さに舌を巻く。
よほど人真似を修練したのだろう。
その焦りこそが、この漫画の最大のテーマだと思う。
島本和彦ってホノテンの初期の頃しか知らないので、
また全部読みしなければならない作家が増えてしまった。
評判の良かったというドラマ版(未見)は、
おそらくはこの男おいどん成分を、
サブカルネタに置き換えていることが予測される。
脳内モノローグ劇場は三人称ドラマにならないからだ。
まあ、延々とモノローグ言う手もなくはないが、
漫画の荒唐無稽さには遠く及ばないと思われる。
三人称は、一人称ではない。
三人称は、脳内を描写できない。
その意味で、アオイホノオは、一人称劇場として最高傑作の一本だろう。
我々映画陣には手のでない領域であり、
ある意味羨ましい。
2016年10月24日
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