相変わらず「カット割」で検索してくる人が多いので。
映像のカット割を、体系的に教えてくれる所はほとんどない。
いくつかの本はあるかもだけど、これだというのに出会ったことはないので、
オススメも紹介できない。
なので、各自で独学されたい。
参考になるのは、過去の名作と日々流れる現代の映像である。
ところで、何故カットを変えるのか。
そもそもそれに、ちゃんと答えられるか?
僕は、ふたつあると思う。
1. そのカットでは表現できないものを次につなぐため
2. 次のカットへ行った時に何かを省略するため
だと考える。
1. そのカットでは表現できないものを次につなぐため
アップの時には、周囲の状況は伝わらない。だからヒキにつなぐ。
ヒキだと表情がよく見えない。だからアップにつなぐ。
後ろ姿では表情が見えない。だから切り返す。
ヒキだと小さなブツがなんだかよく分からない。だからアップで抜く。
「ここがどこか示す」はヒキだとも限らない。
「警視庁」なんて看板をアップにする方法もある。
緊迫したものから一休みするには、空や景色へつないだりする。
ある場所で起こっていることでは、
別の場所で起こっていることを表現できないから、その場所へつなぐ。
ワンカットでは緊迫感を表現出来ないなら、畳み掛けるカット割でつくる。
畳み掛けるのでは緊迫感を表現出来ないなら、ワンカットでじっくり芝居を撮る。
カットを割らずに移り変わる変化が撮れるなら、ワンカットで行く時もある。
(移動撮影、タイムラプス、フォーカス送りなどで)
絵では判りにくい表現なら、字幕を入れることもカット割だ。
「10年後」「東京・深夜2時」「1836年」「警視庁総監〇〇××」などなど。
2. 次のカットへ行った時に何かを省略するため
シーンとシーンのつなぎ目は、基本省略である。
そこへ行く過程が省略されている。
同シーンでも、ストーリーに不要なものはカットされる。
(たとえば結婚式の誓いのキスに第三の男が乱入するとき、
お父さんが娘のために弾くピアノや友人挨拶はカットされるだろう)
発言や所作を、わずかにカットすることもある。
たとえば「名刺を出す」という芝居において、
「内ポケットに手を入れ、名刺入れを開け、名刺を出す」という長い手間をそのまま映さない。
「内ポケットに手を入れる」「出された名刺のアップ」のように、
カットを割って、間のどうでもいい時間をカットしてスムーズに進行させる。
逆に、カットを割らないことで、その時間の緊張感を作る。
上の例だと、「彼の内ポケットに拳銃があったら、全員で彼を撃ち殺さなければならない」
という文脈だったとしたら、
内ポケットに手を入れたら、名刺入れが出てくるまでワンカットのほうが、
ドキドキするというものだ。
逆に、緊張できないのなら、ハサミはバンバン入れるべきだ。
(「バードマン」のワンカットは、実験的には意義があったが、
実質たるいパートがたくさんあった)
「現実の間は、思ったよりたるい」ことを、
たとえばどこかでカメラを1時間回して、あとで見てみると学習できる。
編集は、これを切っているのである。
発言をカットするときは、余計な挨拶を切ったりするわけだ。
発言をワンカットで行くときは、
たとえば「間違えたら殺される」ような緊張感を表現する時に使えるだろう。
たとえば告白の場面は、その緊張を表現するために、
何気ない会話からカットせずに行くだろう。
現実には途中でトイレに行くこともあるが、
映画内ではそこはカットされている体で話が進む。
それでも途中にトイレに行くのなら、
それはストーリーにとって欠かせないから行くのである。
(そこで部下から何かを受け渡しされる計画になっているとか、
運命の再会をするとか、トイレでないと話せない噂話のためとか)
何故カットを変えるのか。
カットを変える理由がないのなら、そのままワンカットで行け。
カットを変える理由があるのなら、カットを変えろ。
原則はそれだけだ。
映像というのは、実時間で行なわれていることを、
整理して見せる行為である。
時間軸、空間的な整理が、カット割りである。
ちなみに、脚本は時間軸だけを扱う。
2016年10月26日
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