デジタル撮影の映画は、やっぱり好きになれない。
現場が楽になったという話も聞かない。
結局手間が増えていると感じる。
編集は楽になったね。
撮影がデジタルになったことで、
得たものはコストダウンだ。
失ったものは、心とか魂とか、特別なものを作っている、感じだ。
さて、今、写真にフィルムが復権しつつあるらしい。
ネット時代に、誰でもスマホでシェア出来るようになったから、
かえって写真とは何かを、
みんな考え始めたのかもしれない。
真っ暗なファインダーの中で考えること、
暗室で向き合うこと、
仕上がりを予想して事前に動くこと、
出来上がってみるまで分からないこと、
予想以上のものが出来ることもあること、
フィルム時代は当たり前だったこれらの「つくること」
が見直されてきている流れだと僕はとらえている。
それが、連続写真、映画にも波及して欲しい。
デジタル撮影になって、
現場は特別なものを作っている場ではなく、
とりあえず収録するものになってしまった。
ギリギリ考え抜いたものをすることではなく、
とりあえずやってみて、たとえば二個やってみて、
後で繋いでやってみる場になった。
それが現場をつまらなくし、仕上がりをつまらなくしていると僕は感じている。
フィルム撮影は特別な場だ。
映画も特別なものであってほしい。
デジタル撮影はとりあえずの場だ。
だからデジタル映画は、とりあえずのものになってしまっている、
そういう気がする。
今日本でフィルム撮影するのは、木村大八ぐらいしかいないんじゃね?
なんて勿体無い。
いけちゃんのときは、プロデューサーに一億減らさなきゃいけないから、
フィルム撮影やめてデジタル撮影にしてくれと懇願された。
撮影一ヶ月前に予算が一億なくなる間抜けさが、
デジタル撮影の日常感だと僕は思う。
つまり、フィルム撮影なる崇高なものを扱える、
きちんとした制作興行システムが支えないと、
フィルム映画は作れないのかも知れないね。
アナログ時代はきちんとすることが当たり前だった。
デジタル時代はきちんとしなくても進行してしまう。
特別なものが出来るのは、どっちだろう。
いや、まさか、人々は特別なものを求めていないのかも知れないが。
2016年10月27日
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