法則、というか経験則というか。
内容と同様、タイトルがひとりよがりになってはならないと思う。
タイトルの決め方については、
法則性があるような気がするが、
それがなんであるかについては僕はまだ正解を持たない。
しかし先日、新作のタイトルを色々考えて、
100個ぐらい考えたんだけど、
分類すると、ある種の法則があるような気がしたので書いておく。
それは、
「俺はここまで到達してるんだぜ。ついてこれるかな?」
と、相手をおいてけぼりにするタイトルをつけがちだ、
ということである。
ドヤ顔したいのはとても分かる。
いきりたいのも分かる。(いきる:関西弁で格好をつけること)
しかしその最高到達点は入り口ではないということ、
タイトルは入り口だ、ということに、気づくべきだ。
カッコつけたタイトルの例。
「THX-1138」「es」「ガタカ」「CUBE」など、記号や暗号っぽくするもの。
(名作も含まれているが)
「すべてがFになる」などの、それだけではよく分からないもの。
(それが引きになるのも分かるけど、
先日ネタバレを知ってしまって、拍子抜けしてしまった。
すげえワクワクしたのにそれを返せと思った)
「私は世界最高の素晴らしい原理にたどり着いた。
それを暗示するタイトルを作ったので、
君たちもその原理にたどり着きたまえ」というのは、
中二病的には憧れるが、
それは、観客に対して「開いていない」と思う。
何が開いていないかというと、心だ。
心を閉ざしている人よりも、
心を開いて両手を開いている人に、
人は惹かれるのではないだろうか。
そもそも野心的実験作品にしようとしていたので、
そのドヤ感ばかりを追求して、反省している次第だ。
恥をしのんで、そのダメなタイトルをさらしてみる。
閉じているもの:
「さみだれよ闇の中で」
「ブラック・バックグラウンド」
「闇よ、静かに横たわれ」
「黒舞台」
開いているもの:
「闇の中でも微笑んで」
前者は観客を拒否することで高みに上がろうとしている。
後者は観客を拒否せず、仲間だと思っている。
その感じが伝わるかと思う。
もっと開いていてかつ内容を示せるタイトルが思いつけば、
それに乗っかると思う。
2016年10月27日
この記事へのトラックバック
あと、ミステリー作品の場合、隠された謎や真理へのワクワク感を煽るのが大事なので、大岡さんの言うような置いてけぼり感がいいように作用するのではないでしょうか。
読み終わったときに、「そうか、この作品のタイトル既に作品の本質が言い当てられていたのか!」という、タイトルそのものが作品全体への伏線となるような。(ご覧になったか存じ上げませんが、「白夜行」がそれに当たると考えております)
表記は直しておきました。
ミステリーは難しい判断です。
「トリックこそミステリーである」と言う考え方もあるし、
「ミステリーも物語の一ジャンルである」と言う考え方もあります。
後者の考え方に立つと、Fのタイトルはやはり意味不明だと考えます。
最近「タッチ」の意味は「バトンタッチ」だった、
なんて話題がありましたが(僕はリアタイなので普通に知ってたが)、
タイトルで謎をふり、ストーリーの本質がタイトルに込められていたとわかり、
それがテーマになっているのは理想のひとつですね。
(アニメの主題歌はハートにタッチの意味で使っていて、
あだち充はそれをも利用して、クライマックスの二人の心のふれあいに持っていったそう)
ミステリーの場合、それがトリックであるべきか、
ストーリーのテーマ(人間や社会の本性とか本質とか)であるべきか、
判断の分かれる所です。
ミステリー専しか読まない、というならば、
やはりある種の閉じてる感じは否めないかなあ。
SFもその気がありますが、ジャンルで閉じるべきでない、
というのが大意です。