「夏休みの自由研究で、
『ノルウェイの森』の比喩表現を除いたら、
1/3の分量になるという結果が出た」
という話をネットで見た。
なかなか興味深い話だ。
残り1/3が、脚本に当たる所だからだ。
勿論小説と脚本は違うものだ。
しかしストーリーの骨格部分は、
村上春樹の1/3しかないということは少し面白い。
いつ、どこで、誰が、なぜ、どうやって、どうした、
という5W1Hは、
そのようなストーリーの骨格を記述する基本だが
(これを遵守する新聞記事やニュースは、
だから味気なく、同時に正確性のみを追求するわけだ)、
脚本は、これが分かるように書けばいい、
という点で、
小説よりも、新聞記事よりも、さらに文章量は少ないのである。
あるいは、「なぜ」は明示せず、暗示したり推理したりすることのほうが、
面白かったりするので、省略の利き方があるということだ。
そして脚本には比喩表現などない。
全ては具体的映像で表現されるものの指示書だからである。
比喩表現があるとしたら、
台詞の中だけだろう。
しかし映像に出来ない比喩に限られ、
映像化出来る比喩などはあえて台詞で言わせることはないだろう。
極論すれば、脚本には比喩表現などという余計なものはない。
逆に、比喩表現こそ小説の華である。
手元に村上春樹がないので、
適当な表現から、
余計な比喩表現を除いてみよう。
彼女は、黒いバンのようなものに押し込まれる。(誤)
→彼女は、黒いバンに押し込まれる。(正)
or 彼女は何者かに押し込まれた。そこは黒いバンの中。
彼の前に広がる道は、彼の将来を象徴している。(誤)
→彼の前に明るい道が開ける。(正)
(「曲がりくねった道」「急な上り坂」など具体的な意味を選ぶこと)
「美味しい! おばあちゃん家で食べた味に近い!」(正)
(味は絵で示せないのでOK)
氷河期のような寒さ。(誤)
→寒くて震え出す。吐く息も凍りつく。
or「まるで氷河期だ…」と震える。(正)
フリーザの攻撃で、
まるで氷河期のように、街が凍りついてしまう。(正)
(絵の具体表現が文章に現しにくい場合は、
直喩でやってしまうほうがイメージが伝わる)
「怖いわ! どうなっちゃうの?」(△)
→「一体どうなっちゃうの?」
(顔を見れば分かることは、台詞で言わなくても分かる)
彼の決断で、事態が動いた。(誤)
→彼は○○する。Aは△△し、Bは××する。(正)
(全ては具体的に示せる形で)
(好きな人の後部座席に乗って)
「雲の上にいるみたい」(△)
→絵以上のことを喋ると寒い。雲の上にいるみたいなことを絵で示すとよい。
例: 彼女の髪がなびき、彼女は目をつぶり彼に体を預ける。など
例2: 彼女は嬉しさのあまり、空を飛び、雲を突き破る。(漫画的表現)
小説とは描写である、なんて説もあるくらいで、
比喩表現は小説の本体なのかも知れない。
脚本の本体は、あくまでもストーリーの骨格である。
2016年10月28日
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