また暴論をしてみる。
あなたは問題が好きだろうか。
問題を前にしたとき、あなたは「こいつは解決しなければ」と思うか、
「いやだなあ」と思うか、どちらだろうか。
友達に相談されたと想定すれば答えは簡単だ。
男なら、問題解決の方法を考え、アドバイスする。
女なら、それは大変だねと共感する。
有名な、「車のバッテリーが上がって」というコピペがある。
女が「車のバッテリーが上がった」と男に電話する。
男は各箇所の点検を指示し、問題個所の発見を考えて誘導する。
しかしこれは「対女へのベストの方法」ではない。
ベストは「それは大変だね」と共感し、
彼女に解決させるのではなく、
「助けに行ってやるよ(共感の共有かつ問題解決)」であると。
これは「男の常識に女は反する」ということを実にうまくとらえた短編だ。
男女の脳差とか性差の話はとりあえず置いといて、
前回と同じように、個人ではなく、
「層として有意差のあるふたつの集団」について考える。
問題解決を考えるのは男性に多く、
共感を考えるのは女性に多い、
という統計的有意差の話であるので、
以下個人に置き換えて考えてはならない。
さて本題。
映画の脚本理論は、従来からずっと男によって考えられてきた。
男によって書かれた脚本が、男によって監督されてきた。
ということで、男が考える物語の主骨格とは、「問題と解決」である。
しかし、もし女によって映画が作られたとしたら?
おそらくだが、「問題と解決」ではなく、
「共感か共感じゃないか」が主骨格になるんじゃないか?
それは映画じゃない、と男の理論から反論することも出来るし、
それはもうひとつの映画理論である、と主張することも可能だろう。
いずれにせよ、
女は「共感か共感じゃないか」に興味があり、
男は「問題とその解決」に興味があるということだ。
Facebook、twitterなどの「いいね」ボタンは、
共感のためにある。だからSNSは女のものである。(極論)
論文、批判は、問題解決のためにある。
だから論文や批判は、男のものである。(極論)
映画に、女の原理を一義的に持ち込むべきではない、
すなわち「好きなものだけを並べる」のは映画的ストーリーではない、
という最近の僕の主張は、男の物語原理から見れば、
ということを主張しているわけだ。
一方、女から見た「好きなものばかり」というものには、
たとえば恋愛漫画や家族ものなどがある。
極端にいえば、仲の良い人々が、仲良く暮らせば、
それは彼女たちにとって心地よく共感できる世界なのである。
もっとも極端なものは、BLだ。
BLに問題解決などない。ただの性癖の確認のしあいだ。
ただそれだけで、彼女たちは脳汁が出るのだ。
我々男にとっては、些末でどうでもいいことである。
(重ねていうが、これは極論だ)
映画は、最初に問題を示さなければならない。
中途の骨格結節点で、センタークエスチョンを示すべきだ。
そしてその解決において、全体の意義を確定しなければならない。
この原則は、あくまで「男の物語論」なのかも知れないわけだ。
(女にとっての問題とは、
「共感が奪われ、共感を回復すること」かも知れない)
さて。
世の中には、男も女もいる。
層的な集団性質に属さない個人もたくさんいる。
つまり結論は、
男的な要素も、女的な要素も含むべき、
という一番難しいことになるわけだ。
「面白い/面白くない」という評価は、
「問題とその解決」を主骨格とする物語についての感想である。
つまり、自分でもその問題を頭の中で解決しようと試み、
その過程自身、その予想を上回った時などに、「面白い」と思うわけだ。
「好き/好きじゃない」という評価は、
目の前にあるすべての要素が、共感するかどうかという反応である。
9割好きでも、1割好きじゃない、とかそういうことだ。
女はホラーが嫌いだ。「恐い」からだ。
「血が出るのとか、恐いのは、好きじゃない」からだ。
男は「血が出たり、恐いのは、問題である。ではその問題を解決しよう」
と興味が出るのである。
(何度も言うが、層としての極論である)
女は、好きであれば、面白かろうが面白くなかろうがどうでもいい。
男は、面白ければ、好きであろうが好きじゃなかろうがどうでもいい。
極端には、そう考えることが出来るわけだ。
そういうわけで、
今の「女の財布を狙う」コンテンツは、
面白いものがないわけなのである。
だって「好きな人が言うことが好き」だから、
好きな人だけ集めていりゃそれでいいわけなのだ。
何度も言うが、これは極論をしているよ。
さて。
僕はこれからも面白いものを書くし、
面白いものの書き方を書いていく。
そして僕自身は好かれているわけではない。
男にとって正しいこととは、好かれることではなく、
正しいことをすることだと思う。
昨今のバズリは、好きかどうかの拡散である。
だからネットでは、評論が炎上するのかも知れない。
2016年10月28日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック