2016年10月30日

ストーリーを書くのに必要なこと

1. 面白いシチュエーションを思いつけること
2. それが意外な方向へ進むこと
3. 複数の人格から見たこの話が見えていること
4. うまく落ちをつけられること

という仮説。


そもそも、面白い話が書けるのは才能だ。
ある程度才能がないと書けないと思った方がいい。
しかし才能といっても、
複数の能力が混じっているような気がするので、
最低限必要なものに分解してみた。

どれも苦手なら、そもそもストーリーテリングに向いてないのではないか。
どれかが苦手なら、
色々と研究して、様々なバリエーションを学び、
自分なりにアレンジしてみて学ぶとよい。
(2、3本をソースにするとパクりになってしまうので、
ソースは常に100以上持っておくことだ。
そうするといつの間にか自分のなかで混ざるからだ。
そしてそのソースは常に継ぎ足しされ、
アウトプットし続ける疲弊を防ぐこと)


1. 面白いシチュエーションを思いつけること

これがストーリーの核である。
すぐには解けなさそうな面白い問題、
脱出不可能そうなシチュエーション、
とんでもない問題。
名作は、まず冒頭の問題が面白い。
困難なこの状況をいかにして解決するか、
というのが映画全体だからだ。

クイズや数学の問題も、まず解決法が一瞬で分からないのが、
面白い問題である。
そしてその解法が、意外でかつスマートであるほうが、
なるほどと唸らせる。
ついでに、(誰もが気づかなかった)
あるひとつの原理に従って解くと、
美しい構造になっている問題を、美しい問題という。

そこまでうまくいくことは稀だが、
問題を作るという行為は、そういうことを含むわけだ。

いずれにせよ、○○すればすぐ解決だろ、
なんて問題は、二時間見る意味がない。
どうやって解決するのだろう、という興味をひく問題を作れるかだ。

新しい問題を作れるのが理想だけど、
人気のあるよくある問題もある。
(例: 地球滅亡(または属する社会)を救えるか、負け犬は勝利するか、
二人は結ばれるのか、正義は勝つのか、復讐は成功するのか、
犯人を捕まえられるのか、どういうトリックなのか、
脱出出来るのか)
人気がある分、その他が練られていないと、他のものに埋もれてしまうだろう。


2. それが意外な方向へ進むこと

問題を解決しようという過程で、
たとえば神が出てきて超常能力で一発解決しては面白くない。
(これをてデウスエクスマキナという演劇用語で呼ぶ)
また、すぐに解ける問題では二時間もたない。
ということで、
過程では、必ず意外な方向へ、話が二転三転すると相場が決まっている。
この転のポイントをターニングポイントという。
起承転結論における転は一ヶ所だけだが、
ターニングポイントは5分おきや10分15分おきにある。
退屈してきたら次の話が始まるように準備されているわけだ。

たとえ平凡な問題だったとしても、
話が面白い方向に展開していくのなら、
話はどんどん面白くなっていく、というものだ。
展開力がある、などと言われるが、
話の展開を構築する能力というのも世の中にはある。

一気にひっくり返すのをどんでん返しといい、
みんな大好きなやつだ。
終盤の全てをひっくり返すのがどんでん返しの大一番だけど、
どんでん返しは前半でも中盤でも出来る。
それは印象的なターニングポイントになるだろう。
大勝利からの大敗北とかね。
(最近だと、「ズートピア」の中盤、
キツネが警察に入ろうと意思を固めたあとの記者会見は良かった)


3. 複数の人格から見たこの話が見えていること

映画的ストーリーは三人称形で進む。
従って最低二人、登場人物が必要だ。
(一人だと思っていることを喋れないから)
さて、異なる二人が出てきたら、
考え方も感じ方も反応も違う。
経歴も立場も扱い方も違う。
つまりは二つの人格が存在するわけだ。
それを書き分けられない人は多い。

全部が全部違うわけでもない。
ここは似てるとか、ここは全然違うとかもある。

つまりは、あなた自身が分裂した人格になりきれるかどうか、
ということだ。
片方に肩入れしないために、
あなた自信の人格を一方に投影する(例:主人公と悪役、主人公とヒロイン)
のは禁止したほうがいい。
あなたが俯瞰的位置に立ち、二つの全く違う人格を人形劇のように操れるのがベストだ。
慣れてきたら、それを増やす。
映画のシーンでは三人以上いることが普通で、
映画の主要登場人物は5、6人いる。
軽重はあるものの、これらが全員違う人格であることが必要である。
(分かりやすい例はスラムダンクか。
花道、赤木、流川、三井、宮城は全く別の人格だ。
日本人は昔から五人組が好きなようである。
もし人物を創作することが苦手なら、
この五人や他の五人組を、ある事件の解決に当ててみるとよい。
これを二次創作という。キャラだけ借りるわけである。
漫画なら絵も借りることになるが、
シナリオならば名前を変えてしまえば、
恐らくバレないかもだ。
更に巧妙なのは、二つを混ぜてるとかね。
ある話の中に典型的な人物が出てきているのなら、
それはどこかからの借り物のことが多い。
そこは二次創作、言ってみれば手抜きだ。
そんなことをやっているうちに、
完全なオリジナル人格を作れるようになってくる)

これらの人格の協力や反発が、問題解決の過程で必ずある。
ある人の目的(反応や判断も)は、
別の人の目的(反応や判断も)と同じとも限らないし、
真逆とも限らない。
そこが複数人格が存在することの面白さだ。


4. うまく落ちをつけられること

落ちこそ全てであると僕は考えている。
それが決着がつき、終わった瞬間、
「今までのことが何だったのか」が確定するからである。
勿論、作者が何だったのか分かってないとこれが書けない。
「特に意味はなくて、単なる時間潰しでした」は、
映画ではない。
何らかの意味があるから、その作品が存在する。
それをテーマという。

絵や数秒の、付き合うのが一瞬のものなら、
無意味というものがあってもよい。
しかし映画は二時間である。
付き合い終わってなんの意味もなかったら、
それはただ疲れるだけであり、二度と映画など見ようと思わない。
何かの意味ある、意義ある体験だからこそ、
映画っていいなあ、と思うのである。

テーマは落ちから生まれる。
落ちはクライマックスから生まれる。
クライマックスは展開が生む。
そして全ては冒頭から始まった、すべてのことが繋がっていて、
はじめて落ちになる。

上手い落ちは、落ちが来たときに、
すべてのことが繋がり、なるほどと腑に落ちるものをいう。
(落語の落ちは、腑に落ちたとき笑いが起こるものを厳選しているが、
それ以外の感情、たとえば感嘆、感動、感心、知的興奮、感慨無量、
喪失感、苦味、無常感、生きる気力が湧いてくる、
などが、特に映画が扱うものである)



さらについでに、あるといいなと思う力。

5. 魅力的な人物をつくれること

上でスラムダンクを出したけど、
魅力的な人物はそれだけでストーリーの財産だ。
スラムダンクの目的は「スポーツの勝利」で、
とても平凡なのだが、
キャラの魅力によって読める漫画になっている。
魅力あるキャラが悩んだり喜んだり、ぶつかり合うだけで、
そこそこ見れるものが作れてしまう。

「漫画はキャラだ」と言われるのは、
構築に才能が必要なストーリーに時間をかけるよりも、
手っ取り早いキャラ構築のほうが、
インスタントに作れる、という教訓である。
しかしながら、結局ストーリーが詰まらないと詰まらなくなるので、
それは間違いだと僕は考えている。

どちらにせよ、魅力あるオリジナルなキャラクターを書けるのは、
一種の才能だ。


6. いい台詞が書けること

これも上と重なりあうことだけれど、
台詞は才能である。
これだけは量で決まる。
量書くとこなれてくるからである。
下手な人の原稿は、書き慣れていないことがよくわかる。
僕は昔からこれが得意だったので、
どうやったら出来るようになるかを指導できない。
すいません。

7. 美しいものを書けること

これも才能だ。
美しいとは何か、言葉で説明できるものではない。
しかしいいものには美しさがある。
そうなりたいものである。
美しさは秩序だろうか。少し崩したものか。乱雑さか。
色々な所に美しさはいる。
時間軸のタイミングの美しさやテンポなどもある。
共有できる感覚もあるし、そうでないものもある。
しかし名作は、すべからく美しい。
posted by おおおかとしひこ at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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