2016年10月31日

発想は幼稚に、検証は大人的に

発想は幼稚にやるのがよい。
たのしく、大胆に、柔軟に。

しかしそのアイデアが現実であり得るのか、
検証は大人の目線で、
確実に、堅実に、論証するべきだ。


発想は常に大胆であれ。
伸びやかで、誰も気づいておらず、
シンプルな発想で、
繊細や首尾一貫性や都合よりも、
勇気や飛躍やすっとんきょうを好め。

アインシュタインの相対論だって、
発想自体は20代だ。
柔らかく、新鮮で、
裸の王様を指摘できる目と頭をいつも持て。

アイデアは大胆でなければならない。
ちっぽけなものや、
しょぼくれたものや、
しょっぱいものや、
いろんな所に気を使ったものは、
アイデアとは言わない。

大人に怒られそうな、
馬鹿にされそうな、
眉をひそめられそうなものが、
アイデアの核になる。

だから、あなたの中の幼児を殺してはならない。
あなたの核にいるのは、常に幼児である。


一方、
それが現実にいかに定着させるかが、
大人としてのあなたの仕事である。

それが世の中にどのようなインパクトを与えるのか、
それが世の中にどんな意味を持つか、
それが世の中をどれだけ変えうるか、
検証しなければならない。

それが論理的に合っているか、
整合性がつくのか、
あるいは、他の理屈をねじ曲げれば成立するようになるのか、
アイデアが成立するのはどのような条件の時か、
それらを突き詰めなければならない。

現実的な文脈だけで考えれば、
大抵のアイデアは死ぬ。

もしアイデアが素晴らしいのなら、
そのアイデアが成立するように、
前提条件を変えてしまうのが大人のやり方というものだ。


仮説は大胆にせよ。
検証は大人がやれ。
あなたの中の、幼児と大人を使い分けなさい。


あなたの中に大人しかいなければ、
リアリティーや首尾一貫性はあっても、
夢のないものしか書けない。
硬直化した、どこにでもある、小さくまとまったものしか書けないだろう。

あなたの中に幼児しかいなければ、
リアリティーのない、無理のある、破綻した、
非論理的なものしか書けないだろう。


映画的シナリオというものは、
実写でやる分、リアリティーの要求が強い。
そのリアリティー内で成立するような、
大胆な発想をしなければならない。

あなたの中の大人と幼児の、両方が生き生きしなければならない。


ドラマ「IQ246」の脚本が酷い。
発想は幼児的で大胆だ。
しかしそれが着地していない。(以下ネタバレなし)

IQ246に相応しい、
完全犯罪のトリックやそれを覆す様が全く出来ていない。
たとえば多湖彰の「頭の体操」や、
それをモトネタにした「レイトン教授」のレベルに達していない。
我々が見たい高IQのトリックに達していない。
高IQとは、点の知識の豊富さではなく、
原理と原理を線的に応用して、
日常の常識にとらわれない、
全く新たな論理を導くことだ。

つまり、
大人が仕事をしていない、
幼稚な作品になっている。
IQ46、と揶揄されるのもやむなし。
posted by おおおかとしひこ at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック