発想は幼稚にやるのがよい。
たのしく、大胆に、柔軟に。
しかしそのアイデアが現実であり得るのか、
検証は大人の目線で、
確実に、堅実に、論証するべきだ。
発想は常に大胆であれ。
伸びやかで、誰も気づいておらず、
シンプルな発想で、
繊細や首尾一貫性や都合よりも、
勇気や飛躍やすっとんきょうを好め。
アインシュタインの相対論だって、
発想自体は20代だ。
柔らかく、新鮮で、
裸の王様を指摘できる目と頭をいつも持て。
アイデアは大胆でなければならない。
ちっぽけなものや、
しょぼくれたものや、
しょっぱいものや、
いろんな所に気を使ったものは、
アイデアとは言わない。
大人に怒られそうな、
馬鹿にされそうな、
眉をひそめられそうなものが、
アイデアの核になる。
だから、あなたの中の幼児を殺してはならない。
あなたの核にいるのは、常に幼児である。
一方、
それが現実にいかに定着させるかが、
大人としてのあなたの仕事である。
それが世の中にどのようなインパクトを与えるのか、
それが世の中にどんな意味を持つか、
それが世の中をどれだけ変えうるか、
検証しなければならない。
それが論理的に合っているか、
整合性がつくのか、
あるいは、他の理屈をねじ曲げれば成立するようになるのか、
アイデアが成立するのはどのような条件の時か、
それらを突き詰めなければならない。
現実的な文脈だけで考えれば、
大抵のアイデアは死ぬ。
もしアイデアが素晴らしいのなら、
そのアイデアが成立するように、
前提条件を変えてしまうのが大人のやり方というものだ。
仮説は大胆にせよ。
検証は大人がやれ。
あなたの中の、幼児と大人を使い分けなさい。
あなたの中に大人しかいなければ、
リアリティーや首尾一貫性はあっても、
夢のないものしか書けない。
硬直化した、どこにでもある、小さくまとまったものしか書けないだろう。
あなたの中に幼児しかいなければ、
リアリティーのない、無理のある、破綻した、
非論理的なものしか書けないだろう。
映画的シナリオというものは、
実写でやる分、リアリティーの要求が強い。
そのリアリティー内で成立するような、
大胆な発想をしなければならない。
あなたの中の大人と幼児の、両方が生き生きしなければならない。
ドラマ「IQ246」の脚本が酷い。
発想は幼児的で大胆だ。
しかしそれが着地していない。(以下ネタバレなし)
IQ246に相応しい、
完全犯罪のトリックやそれを覆す様が全く出来ていない。
たとえば多湖彰の「頭の体操」や、
それをモトネタにした「レイトン教授」のレベルに達していない。
我々が見たい高IQのトリックに達していない。
高IQとは、点の知識の豊富さではなく、
原理と原理を線的に応用して、
日常の常識にとらわれない、
全く新たな論理を導くことだ。
つまり、
大人が仕事をしていない、
幼稚な作品になっている。
IQ46、と揶揄されるのもやむなし。
2016年10月31日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック