2016年11月01日

変身願望2

変身願望を考えるとき、
仮面のヒーローや仮面舞踏会や、
偽の人格を演じたりすること(比喩の意味での仮面)
ばかりを考えるわけではない。
それはあくまで象徴(意味を絵で示すこと)に過ぎない。

仮面の出てこない物語も、
構造的に変身願望を満たす。
スペシャルワールドという概念で、である。


物語というのは、
主人公の日常からはじまる。
事件が起こり、
これ以上日常生活を続けられない事情になり、
主人公は日常世界を離れ、
危険でいっぱいの非日常世界へ踏み込むことになる。
そののっぴきならない事情を動機という。
前向きの動機もあるし、
しょうがなくという後ろ向きのものもある。
(飴と鞭の関係。餌をぶら下げるか、退路を断つ。
両方ある場合もある)

こうして、主人公は、慣れない不安な世界へ足を踏み入れることになる。
予測しがたく、不安定で、法則性もなく、
逆にチャンスに満ちている世界だ。

主人公はそこで冒険をし、リスクを犯し、
果実を得て帰ってくる。

そうして元の日常世界に帰還する。
安全で、いつもの日常で、
それゆえ退屈で飽き飽きしていた日常世界にだ。
しかし非日常世界で冒険した主人公にとっては、
日常世界が別のものに見えている。
冒険を経て、変化(大抵の場合はポジティブな成長)
をしたからである。


つまり、主人公は、
日常→非日常→日常を経験する。
この非日常世界をスペシャルワールドという。

すなわち、変身願望はスペシャルワールドで満たされるわけなのである。

だからスペシャルワールドは、特別なものでなければならない。
この日常世界にない、
特殊で、ワクワクして、ハラハラするものでなければならない。
日常を異化する、仮面と同じ役割だからである。

異世界ものは、異世界そのものがスペシャルワールドだし、
(ファンタジーとは場所の物語である、
なんて言い方もある。異世界の構築が肝だという意味だ)
リアル世界を舞台にしたものでも、
事件そのものがスペシャルワールドへの入り口である。
何度も書くけど、恋はスペシャルワールドだ。

スペシャルワールドはまた、旅にもたとえられる。
映画は旅であるとか、
物語は旅であるとかいう。
日常→非日常→日常という構造が、
旅の経験にとても似ているからで、
旅から帰ってきたら、人は少し変化するからだ。


仮面の役割、非日常世界(スペシャルワールド)の役割、
旅の役割、
これらは全て同じものである。

普段の自分と違うものになり、
普段の自分に戻ってきたとき、
普段の自分を相対化して、違う自分へと成長変化すること。

これは、主人公のことでもあるし、
観客のことでもあるわけだ。


仮面ものの傑作に、「トッツィー」がある。
「演じることは優秀なのだが売れない役者が、
自分の実力を示すために女優に化けてバカ売れする」
というコメディである。
正体が男と知れてはならないから、
ハラハラが沢山用意されている。(スペシャルワールド)
当然のように、日常世界への帰還は、
「正体を明かすこと」だ。

同じ構造はスパイダーマン2でもあるし、
「忍びであること」をスペシャルワールドのルールとする、
忍びものの話にもある。(ドラマ風魔もその系譜だ)


変身願望を満たす物語は、
全てはこういう構造になっているわけだ。


どうして人は変身願望があるのか?
どうして人は旅に出たいのか?
どうして人は仮面を被りたいのか?
どうして人は危険を犯したいのか?

簡単だ。いまの自分が嫌いだからである。
だからスペシャルワールドの話に、夢中になるのである。


あなたが用意するのは、
そのような変身願望を満たす、危険とワクワクが一杯の、
スペシャルワールドであることと、
それが日常にどう帰還するかということと、
どうしてもその危険なスペシャルワールドに行かなければならない理由づくりである。
posted by おおおかとしひこ at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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