変身願望を考えるとき、
仮面のヒーローや仮面舞踏会や、
偽の人格を演じたりすること(比喩の意味での仮面)
ばかりを考えるわけではない。
それはあくまで象徴(意味を絵で示すこと)に過ぎない。
仮面の出てこない物語も、
構造的に変身願望を満たす。
スペシャルワールドという概念で、である。
物語というのは、
主人公の日常からはじまる。
事件が起こり、
これ以上日常生活を続けられない事情になり、
主人公は日常世界を離れ、
危険でいっぱいの非日常世界へ踏み込むことになる。
そののっぴきならない事情を動機という。
前向きの動機もあるし、
しょうがなくという後ろ向きのものもある。
(飴と鞭の関係。餌をぶら下げるか、退路を断つ。
両方ある場合もある)
こうして、主人公は、慣れない不安な世界へ足を踏み入れることになる。
予測しがたく、不安定で、法則性もなく、
逆にチャンスに満ちている世界だ。
主人公はそこで冒険をし、リスクを犯し、
果実を得て帰ってくる。
そうして元の日常世界に帰還する。
安全で、いつもの日常で、
それゆえ退屈で飽き飽きしていた日常世界にだ。
しかし非日常世界で冒険した主人公にとっては、
日常世界が別のものに見えている。
冒険を経て、変化(大抵の場合はポジティブな成長)
をしたからである。
つまり、主人公は、
日常→非日常→日常を経験する。
この非日常世界をスペシャルワールドという。
すなわち、変身願望はスペシャルワールドで満たされるわけなのである。
だからスペシャルワールドは、特別なものでなければならない。
この日常世界にない、
特殊で、ワクワクして、ハラハラするものでなければならない。
日常を異化する、仮面と同じ役割だからである。
異世界ものは、異世界そのものがスペシャルワールドだし、
(ファンタジーとは場所の物語である、
なんて言い方もある。異世界の構築が肝だという意味だ)
リアル世界を舞台にしたものでも、
事件そのものがスペシャルワールドへの入り口である。
何度も書くけど、恋はスペシャルワールドだ。
スペシャルワールドはまた、旅にもたとえられる。
映画は旅であるとか、
物語は旅であるとかいう。
日常→非日常→日常という構造が、
旅の経験にとても似ているからで、
旅から帰ってきたら、人は少し変化するからだ。
仮面の役割、非日常世界(スペシャルワールド)の役割、
旅の役割、
これらは全て同じものである。
普段の自分と違うものになり、
普段の自分に戻ってきたとき、
普段の自分を相対化して、違う自分へと成長変化すること。
これは、主人公のことでもあるし、
観客のことでもあるわけだ。
仮面ものの傑作に、「トッツィー」がある。
「演じることは優秀なのだが売れない役者が、
自分の実力を示すために女優に化けてバカ売れする」
というコメディである。
正体が男と知れてはならないから、
ハラハラが沢山用意されている。(スペシャルワールド)
当然のように、日常世界への帰還は、
「正体を明かすこと」だ。
同じ構造はスパイダーマン2でもあるし、
「忍びであること」をスペシャルワールドのルールとする、
忍びものの話にもある。(ドラマ風魔もその系譜だ)
変身願望を満たす物語は、
全てはこういう構造になっているわけだ。
どうして人は変身願望があるのか?
どうして人は旅に出たいのか?
どうして人は仮面を被りたいのか?
どうして人は危険を犯したいのか?
簡単だ。いまの自分が嫌いだからである。
だからスペシャルワールドの話に、夢中になるのである。
あなたが用意するのは、
そのような変身願望を満たす、危険とワクワクが一杯の、
スペシャルワールドであることと、
それが日常にどう帰還するかということと、
どうしてもその危険なスペシャルワールドに行かなければならない理由づくりである。
2016年11月01日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック