2016年11月04日

構造はストーリーラインである

三幕構成理論や序破急、ハコガキ、起承転結などは、
「構成」については言及するが、
物語の構造については言及しない。
つまり、構成と構造は違う。


構成というのは、
俯瞰して見たとき、
「○○を語るのに○ページかける」という時間配分と、
「第○ブロックでは、おおむねこのようなことを言って、
全体はこのような流れになっている」
ということを決めることに過ぎない。

三幕構成理論や、ブレイクシュナイダービートシートは、
それにターニングポイントや独自のビートを加えたものなわけだ。

それは、時間に対する理論に過ぎない。
「語りの構造」であり、
「語られるものの構造」を意味しない。
前者を構成、後者を構造というわけである。


ではストーリーの構造はどのようなものだろう。

僕は、ストーリーラインと焦点を骨格に考えればいいと考える。


焦点とは、「○○は一体どうなるのか、結局どうなるのか」
というストーリーが争うものであり、
謎(結論はどうなるのか)の前ふりである。
観客はこの先が知りたいが故にストーリーを見るのである。

具体的には、
恋は実るのかとか、
受験は成功するのかとか、
帝国を倒せるのかとかだ。
そのなかでも一番大きく、その決着がつけばストーリーが終わるとみんなが認識しているものを、
センタークエスチョンというのであった。

その焦点に関するストーリーを、
一本のストーリーラインという。
ストーリーラインは大抵複数ある。

相変わらずロッキーでいえば、
「ロッキーは引退するのか」
「ロッキーは世界戦に出るのか」
「ロッキーは世界戦に勝てるのか」
「ロッキーは世界戦で勝てなくとも立ち続けられるのか」
という焦点が変化しながらも続くメインストーリーラインがあり、
(これらをまとめる焦点は、
「ロッキーは何者かになれるのか」である)
他にも細かい焦点はたくさんある。
「ロッキーはマフィアの言い付け通り指を折るのか」
などだ。

また、大きなストーリーラインに、
「ロッキーはエイドリアンと結ばれるのか」というラブストーリーラインがある。
(これも小さな焦点が都度変化していく。
「ペット店で会話を弾ませられるのか」
「感謝祭の日にデートできるのか」
「スケート場が終わりだと言われたがどうするのか」
「家に誘えるのか」
「帰ると言ってるのを引き留められるのか」
「兄との喧嘩を止められるのか」
「一緒に住んでいるべきか」
などにだ)

他にもミッキーとのストーリーラインでは、
「ミッキーはトレーナーになるのか」がある。
アポロはアポロで、
「世界戦のビジネスをどう運営するか」がある。
(相手選手の怪我というアクシデントを受け、
アメリカンドリームマッチを思いつくわけだ)
ポーリーのストーリーラインでは、
「ひともうけ出来るのか」があり、
(もっと大きなポーリーの関心事は、
「しょぼくれたこの生活が気に入りながらも何とかしたい」だ)
ロッキーに迷惑をかけ喧嘩して仲直りするストーリーラインがある。


ストーリーを作る、
というのは、
これらのストーリーラインの骨格を作り、
その焦点に夢中にさせることを言う。

焦点に夢中にさせるのは、どのようにしてか。
そもそもその焦点が目新しく、
それだけで成立すればそれで夢中になるだろう。
そうじゃない場合、
リアリティーを持って、
その焦点がいかに大変かに追い込んでいく。
実感させるわけだ。
「これを解決するには一体どうすればいいのだろうか?」と。
これが感情移入の最初のポイントだった。
ここに心を奪われるか、
少なくとも興味を持てば、
今後起こる出来事に関心を持ってくれる。
あとは、その展開や、キャラクターを好きになることで、
ストーリーとの一体化が進んでいくわけだ。
(理解なきところに好きという気持ちは作られない。
そういうわけで、ストーリーのはじめのほうは、
理解するための説明情報を提供しなければならない。
この説明が下手な人は、ストーリーに入るのを困難にする)

焦点に夢中になっていれば、
観客もそれに前のめりに参加しているわけだ。
「自分ならこの事態をどうするか」と。
もし主人公より能力があればその能力で解決するだろうが
自分の能力がないと仮定して、その主人公がどうするかを考えるだろう。
もし主人公のほうが能力があれば、
それを使う快感を、代わりに感じてくれるかも知れない。

いずれにせよ、焦点に夢中になっていない限り、
どんなことをしたとしても、
ストーリーは面白くない。
(場面場面で目を引くことは可能だ。
派手なアクションや爆発、お色気、ダンスなどの、
点による刺激を与えればいい。
しかしそれは、焦点に夢中になっていることとは違うことである。
もっとも、「吊り橋効果」によって、
ハラハラドキドキすれば、勝手にそのキャラクターを好きになる)



ストーリーラインの構造を作ることは、
ストーリーの骨格を作ることだ。

どういう問題があって、
どういう焦点が発生して、
それがどう変遷して、
最終的にどうなるかを決めて、
他のストーリーラインとの関係も決めることである。

各キャラクターは大なり小なり、
自分の問題を抱えている。
それらが絡み合ってうねりを作り出すのが、
ストーリーを作るということだと思う。
(焦点が最も大きく、最も関心をひき、
最もスポットが当たり続ける人を、主人公とよぶ。
観客は主人公の目線を、ストーリー理解の手がかりにする)


これの時間配分を、構成と言うのに過ぎないだけである。


僕は、構成なんてあとでやればいいと思う。
まずはストーリーラインの構造を作るべきだと考える。

「ストーリーを思いついた」というのは、
このストーリーラインの構造の部分をひらめいたときで、
「ストーリーが出来た」というのは、
このストーリーラインの構造が全部出来たときで、
かつ構成まで出来たときだろう。
posted by おおおかとしひこ at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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