あるシーンを書くときの基本は、
二人芝居と三人芝居だ。
実際には、ひとつのシーンにはもっと人がいるときのほうが多い。
しかし、4人だろうが5人だろうが10人だろうが、
ブロックわけすれば、
二人芝居と三人芝居の組み合わせで書ける。
それは、「一度にしゃべるのは一人である」
という暗黙の原則があるからである。
さて、二人芝居から。
これは、コンフリクトそのものである。
双方の事情や目的があり、
それらが矛盾したり競合したり、
一部は一致したり歩み寄れたり、
それらを確認したり誤認したりして、
駆け引きなりをして、
双方の納得のいく結論、
あるいは部分的な結論に達したら、
そのシーンはおしまいだ。
基本は主人公目線で見るけれど、
ラブストーリーなどはどちらから見ても面白く、
感情移入でき、二転三転を楽しめるものであるべきだ。
現実で二人芝居になることは、
実はそんなにないと思う。
会社もので二人になるときは、
相当の緊張度のときだろう。
家族ものでも二人で話すことはかなりの秘密の話だ。
グループから抜けて二人きりになる、
というシチュエーションになるから、
それはよほどの文脈の時になるだろうね。
宿敵同士が二人きりで飲む、なんてのはものすごく特殊な場面なわけだ。
にも関わらず、
初心者ライターは、二人きりの場面ばかりを書く癖がある。
何故なら、二人までしか脳内で動かせないからだ。
「二人芝居の場面は、勝負場面」だと心得て、
以下の三人芝居をちゃんとトレーニングしておくとよい。
コンフリクトは、ふたつの衝突だけではない。
三つの衝突、三つ巴もあり得るのが現実だ。
さて三人芝居。
簡単なのは、「喫茶店で三人が喋る」シーンである。
何故なら移動もアクションもないからだ。
座り芝居だけしていればいい。
(そういえばファミレスの「三名様」ってのがあったね。
深夜ドラマ化もしたのか?)
三者三様の、
事情、目的、人間関係、
興味や焦点などがあることを、
まず把握しておく。
頭のなかで把握しきれないなら、
表に書いてもいい。
ここで先ほどの芝居の原則が働く。
「同時にしゃべるのは、一人まで」だ。
勿論、発言が被ったりすることもあるけれど、
「場を優先して、どちらかが先に話す」
という無言の磁場が働くはずである。
「あのさ」「あのさ」
「あ、そっちから」
「ありがとう。あのね…」
のようにだ。
そしてこの段取りは余程でない限り、お芝居には不要なので、
普通に誰かが発言するところから始めればいい。
ということで、
三人芝居では、
二人芝居が三つ出来上がる。
AB、BC、CAの組み合わせの芝居だ。
三人芝居で注意すべきは、
目まぐるしく二人芝居が移り変わるときの、
「今発言していない人」のことである。
それぞれ、
C、A、Bがその時何を考えているかだ。
単純に、コンフリクトのレフェリー、
第三者になるときが一番多い。
フラットな意見を言ったり、
両者をさばいたりなど。
あるいは興味のない傍観者になることもある。
(その時勝手に何かをしていて、
あとでそれを持ち込むことになる)
また、第三者から当事者になり、
別のコンフリクトを発生させるプレイヤーになったり、
どちらかに加担して、二対一の状況を作ったり、
また、寝返ったりもする。
第三勢力(三つ巴)にもなれば、
単にコンフリクトの強化になったりもするわけだ。
今、何が焦点になっているかも含めて、
これらのどのコンフリクトの状態になっているか、
その変化こそが、流れというやつである。
初心者の書き手は、
まずこれらを、キャラクター押しで書こうとする。
○○は○○の話が好きで、○○が嫌いで、
今○○に興味があって、○○と仲良くて、
こないだ○○があって、
などを設定しておけば、
勝手に話が動き出すと誤解している。
確かに話は弾むかも知れない。
生き生き書けて、笑いも生まれるだろう。
ほんとこの三人が揃うと最高だわ、となるコンビが出来るかも知れない。
ところが。
その設定したことが尽きると、途端に詰まらなくなってしまうだろう。
現実と同じだ。
新しい話題を仕入れてこないと、
おんなじ話になってしまい、詰まらなくなるのである。
そうすると現実と同じで、
「なんかいいことねえかなあ。このメンバー飽きた。
ここにカワイイコ来ねえかなあ」となってしまうのだ。
問題は何か。
設定と話題だけしかないことである。
元に戻すと、
ストーリーとはコンフリクトであった。
つまり、目的のある人と、目的のある人がぶつかることであった。
ぶつからなくても、
軋轢を生じたり、無理があったり、揉めることである。
さあ、こうすることで途端に緊張が発生する。
三者三様の目的があり、
この場で決着をつけるかどうかはおいといても、
何か軋轢がある。
ピリッとした空気が生まれ、
それをどうにかしない限りこの場が収まらない。
収まり、次のことへ話が向けば、このシーンは終わりなわけだ。
そのような三人芝居のシーンを書くことが、
映画的なシーンを書くことなのである。
つまり、
性格とか興味とか話題などを設定する必要など、
極端に言えばゼロでよい。
異なる目的や事情を、事前に設定しておくだけでよいのだ。
簡単な例。
三人が旅行先を決めるための会合。
それぞれ、国内温泉、パリ、アメリカに行きたいとする。
三人が旅行先を決めるまでの会話。
勿論、性格や好き嫌いの設定をしたほうが豊かな会話になる。
しかし、話の骨格は、
行き先をどこに決めるか、になるはずだ。
こういうのは結論から逆算すると書きやすい。
仮にパリにして、書いてみるといいだろう。
さらに、三人の性格を全く異なるようにして、
書き直すのもトレーニングになる。
さらにやってよいトレーニングは、
座り芝居をやめて、
立ち芝居でやってみることだ。
つまり、自由に動ける状態で、何をさせるかを考えると良い。
三人芝居は難しい。
これをマスターすることは容易ではない。
しかし、慣れてきたらさばけるようになる。
何故なら、
「同時にしゃべるのは一人」だからだ。
Aの発言に対して、
Bに次にしゃべらせるか、Cにするかを、
決めればいいからである。
思惑や焦点や話題は、生き物のように都度動く。
適切なタイミングで話せばよい。
話を仕掛けるのか、受けるのか、流すのか、
プロレスのように考えると楽かも知れない。
4人だろうが5人だろうが10人だろうが、
原則は同じだ。
同時にしゃべるのは一人。
それに応じて、
二人芝居や三人芝居にブロックわけしていけばいい。
ということは。
誰が最初に口火を切るかで、
流れが決まってしまうよね。
僕はシンゴジラの閣僚の会話シーンはとても下手だと思う。
言いたいことを言いっぱなしで、
会話劇としては三流だ。
一流の群衆会話劇は、
「11人の怒れる男」「12人の優しい日本人」などを研究するといいだろう。
彼らは最終目的がハッキリしている。
「何が起こったか究明し、有罪か無罪か決めること」だ。
それに向けて、対立や転向が繰り返されるわけだ。
目的のない会話ではないから、
映画になるのである。
2016年11月09日
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