脚本論の立場から、分析してみよう。
彼の存在が、劇場的だったからである。
以前、大塚家具の父娘騒動についても言及した。
マスコミが盛り上がり、世間が動くのは、
「それが劇場的になったとき」である。
映画的、物語的になったときだ。
大塚家具は、「父と娘の宿命的メロドラマ」というストーリーに皆心酔した。
今回は、「敵を攻撃し、味方をまとめる」ストーリーである。
組織心理学で有名なのは、「仮想敵国の原理」だ。
「敵がいる。皆で団結してその敵を倒そう」というストーリーに、
人は心酔する、という原理だ。
これはこのストーリーが人気で、鉄板である、という経験則であり、
「なぜそうなるか」は解明されていない。
(集団的狩りの名残り、という仮説は可能だが)
問題は、この敵は、「実在しなくてよい」ことである。
だから「仮想敵国」という。
仮に、ナチスが善人だったとしても、
「ナチスは極悪非道の大悪党であり、
我々は団結してこの悪を倒さなければならない」
と演説すれば、国内がまとまる、ということなのだ。
これは米ソ冷戦時代、実際に使われた論法だ。
米国内を安定させるため、反資本主義=共産主義を仮想敵とさだめたのである。
(ちなみにこの話をもっとかみ砕いた話が、てんぐ探偵でも出てきます。
妖怪「スケープゴート」の話)
さて、トランプ。
まさかトランプ当選とは、と良識ある人間ならだれもが落胆するはずだ。
トランプは、色んなものを敵とした。
ヒラリー、メキシコ、日本、その他その他。
敵がいると内部がまとまる。
我々は外からアメリカを見ているから、アメリカは何を外に敵を作ってるんだ、
と客観的に見れる。
しかしアメリカはそうではない。
アメリカからトランプのフィルターを通してみれば、
周りは敵だらけなのだ。
国内でまとまるべき時がやってきたのだ、ということである。
アメリカは、ナチスを倒し、ソ連を倒し、フセインを倒した。
アラブは倒せなさそうだ。
だから、新たな「敵」が必要だったのだ。
「敵を倒すために、皆が団結する物語」は、燃える。
たとえば「インディペンデンス・デイ」の大統領演説シーン。
「シン・ゴジラ」の演説シーン。
「大義名分のために、ひとつになる」のは燃えるのだ。
ベッキーを叩いたり炎上したりする心理は、卑近だがそういうことである。
USA! USA!と、「センテンススプリングゆるさん」は、同根の心理である。
それぐらいひとつになることは気持ちいい。
それほどに、我々は孤立がおそろしいのかもしれない。
人類は、この「性癖」に自覚的になれるだろうか。
そこのところは分らない。
ただ、「最強になってしまった少年漫画の主人公」は、
もはや面白い物語を持てないことは、私たちはよく知っているはずだ。
孫悟空しかり、ラオウ後のケンシロウしかり、マトリックスのネオしかり。
「物語は、敵を必要とする」のかもしれない。
2016年11月10日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック