2016年11月10日

犯人探し

我々は何故なにか起こったら、
犯人探しをしたがるのか。
それは、「敵を倒す」物語と関係しているのではないか。


敵を倒す物語における、
裏の動機は、「団結の確認」であった。

我々は、「団結を確認するために」敵を倒すのだ。

身内と身外という言い方をすれば、
身内を仲良くするために、身外を攻撃するのである。
これは、
村社会における差別構造のことである。
すなわちいじめと同じだ。
部落非人差別、身分差別、女差別などは、
このようなメカニズムが働いている。


問題が起きたとき、
何故我々は犯人探しをしたがるのか。
それは、犯人すなわち敵をつくることで、
「我々には問題がない」ことを確認したいためである。

どうして宿題をしないの?
怠けてたんじゃなくて、○○くんと一緒に遊んでたから、
○○くんが誘うのが悪いのさ。

こういう言い訳の心理と同じである。

私には問題がない。
私たちにも問題がない。
私たちは全員問題がない。
問題は、敵だけである。
だから敵をみつけ、サーチアンドデストロイ。
この残虐性の裏には、
私たちは全員問題がないことを確認し、
団結したいという心理が隠れているわけだ。


本当の問題は、敵か?



敵が死ぬときにこういうよね。
「俺が死んでも、第二第三の俺が現れるぞ」と。
現れるのは、外からじゃない。
集団の内側からだよ。
まるでガン細胞の切除のようだね。
ガン細胞が問題なのではなく、
免疫力の低下のストレスが問題なのに。

犯人探しをしたい心理は、
我々は間違っていないことの安心が動機だ。

逆に、
犯人を特定できれば、
「間違っていない我々」は、どこまでも残虐になる。
デビルマンのミキちゃんの殺害シーンを、
覚えている世代は少なくなっているかも知れない。

ベッキーをはじめ、色んな人が炎上の十字架にかけられた。
それは、犯人探しをしたいという、
集団の不安と関係しているわけだ。


犯人探しをしたい不安は、
どうすれば解消するのかね。
ひとつは、私たちは全員不安である、
と確認することかも知れない。

あるいは、こういう解もある。
天下三分の計や、米ソ冷戦のように、
敵対勢力の拮抗である。

どちらが面白い物語になるだろう。
それは、あなたがどのように人間を考えるか、
ということと関係している。


ちなみに、明日更新のてんぐ探偵は、
前者に迫ったつもりだ。
シンイチに久しぶりに心の闇が取り憑く。
不安の種と、人はどう向き合うべきか。おたのしみに。
posted by おおおかとしひこ at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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