2016年11月20日

二幕の書き方

二幕はほんとに難しい。
いつも悩みながら書いている。
長年の経験により、どうやらこうではないかという法則がふたつある。

1. 一意解があるわけではない。
2. 周囲の人々で決まる。

解説してみる。


1. 一意解があるわけではない。

一意解とは、数学の用語で、
論理的にそれしかない、唯一の解のことを言う。
複数解や不定(解けない、解なし)に対比する言葉だ。

一幕と三幕の関係は、論理が結ぶ。
問題と解決、
不足や渇きから、成長や変化、
など、ビフォーアフターが論理的に整合性が結びつけられる。
(その極端なものが、ブックエンドテクニックで示されるものだ)

しかしその「間」が、論理的に導かれるわけではない。
一幕と三幕の間は、
論理的に構築しなければならないが、
その論理展開自体が一意である保証はどこにもない。
すなわち、「別解はいくらでもあり得る」。

二幕を書くのが難しいのは、
別解がいくらでもあり得て、
しかし一本の線は論理的に一幕と三幕を結び付けなければならないからである。

だが、別解はあり得る、というスタンスに立てば、
いくらでもバックアップを思いつくことが可能になる。
あとは、
一番面白くなるように、場面を取捨選択していけばいい。

どんな物語でも、
「頭とケツを固定したとしても、
間はいかようにでも作れる」のである。

逆に言えば、
「ベストの二幕は存在しない」
という考え方も出来る。

安心して試行錯誤して、
一番面白いのを、論理ではなく感覚で作ればいい。



2. 周囲の人々で決まる。

一幕と三幕は、特に主人公とメイン事件について考えることである。
ところが映画というのは一人で完結するものではない。
様々な登場人物(経験的に主要5、6人)の間のあれこれを書く。

つまり、
二幕の展開は、「主人公の周囲にいる人次第」である。


展開から逆算して脇の人物の設定を作ってもいいし、
脇の人物の設定を作ってから展開を考えてもいい。
どっちのやり方が正解とかない。
一意解はないのだ。

面白い人物がいてもいいし、
詰まらない人物がいてもいい。
派手な人物がいてもいいし、
地味な人物がいてもいい。
年上がいても、年下がいても、同年代がいてもいい。
偉い人がいても、偉くない人がいてもいい。

あなたが社会をどう考えているかが、
多少そこに反映する。
人間と人間がどういう関係で社会を形成しているかを、
あなたが創作しなければならないからだ。

一人では物語にならない。
物語は、人と人の間に起こる。
そして、映画とは主要登場人物5、6人である。

つまり、主人公と他の人物の、
あるいは他の人物同士の、
綱引きや駆け引きが、
物語の中盤になるということである。

綱引きや駆け引きがあるためには、
互いに異なる目的である必要がある。
微妙に異なって大体一緒でも、
全然違っても構わない。
面白くなる方に設定すればいい。
(何度も確認するが、一意解はない)
あとで変更してリライトしても構わないのだ。


ちなみに、周囲の人物で、
ひとつだけ特別な役割があって、
それがアンタゴニストだ。

このブログでは、敵とかライバルなどを当てている。
すなわち主人公と対極に当たる人物のことだ。

目的が真逆(または競合関係)であることが、
アンタゴニストの定義である。
主人公がテーマを体現する人間になるから、
アンタゴニストはテーマの逆、アンチテーゼを体現することになる。

また、立場や性格やビジュアルが真逆にすることで、
対比的にすることもあるだろう。


ちなみに、ラブストーリーにおける相手役は、
僕はアンタゴニストに含めて良いと考える。
敵なら倒す話になり、ラブストーリーなら融合する話になるはずだからだ。
拒否するのか第三の新しい結論に達するのか、
というストーリーの形の違いだと思う。


周囲の人物は、アンタゴニストと、他だ。
それは自由に決めていい。
重ねて書くが、
展開を考えてから設定を決めてもいいし、
設定を決めてから展開を考えてもいい。
どっちでもよくて、それは面白い方でよい。


ちなみに、
テーマにサブテーマがあり得るならば、
周囲の人物にはサブテーマを体現させてあげると良いと思う。
これは多分、のちのち整えて行くことになると思う。

(例によってドラマ風魔だが、
風魔のテーマ絆に対して、
アンタゴニストの夜叉は、反対のテーマ「他人を信用せず自分勝手」を体現する。
小次郎の「暖かい風を吹かせる」に対して、
壬生や武蔵の周囲は常に冷たい人で溢れている。
また、姫子は「理性で未来を考える」という、
小次郎の逆の性格の人だ。
あるいは、小次郎の無鉄砲や熱情に対して、
麗羅は落ち着いて静かな人である。
小次郎が考えすぎれば、麗羅は無邪気に応対する。
また、陽炎は話をかき回す役割で、
彼のサブテーマは「でたらめ(=カオス)」である。
彼の存在によって、世の中には理解できることとできないことがあり、
だからこそ先が読めないということが分かるのだ。
他にも、
劉鵬が力なら小龍は技、風魔が手技なら琳彪は足技、
普通の忍者が術ならばリーダー格の竜魔と武蔵はサイキック、
闇鬼が冷静なら雷電は激情、陽炎が知略なら妖水はキチガイ、
みたいな対比によって、
小さいサブテーマを対比させているわけだ)
posted by おおおかとしひこ at 13:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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