2016年11月20日

デジタルは人を幸せにしない:馬鹿隠蔽器

ツィッターが馬鹿発見器と言われて久しいが、
そもそもデジタルは、馬鹿をそこそこ隠蔽している。


たとえば書類作成ひとつにしても、
手書きならば、
思考や要点が整理されている人が、
短時間で書くものである。

それがデジタルになっても、
短期間で整理された思考を書き留めるだけで終わる。
優秀な人の資料作成というのはそういうもので、
資料とは、整理された思考や要点を読むものである。


ところが、馬鹿はそもそも思考や要点が整理されていないから、
いつまでもデジタルの原稿を直し続ける。

これが長時間労働の正体だと、僕は考えている。


ワープロの出現によって、
人は綺麗な字を書く必要がなくなり、
悪字の人が救われた錯覚に陥った。
しかし実際のところ、綺麗な字とは、
整理された思考や要点と一致していたのだ。
悪字の人間は、やはり思考がスパゲッティであったのだ。

それが、
綺麗なフォントで印字されたことで、
綺麗な思考か汚い思考かは、
中を読まなくては判断できなくなってしまった。

かくして、
中身の読めない馬鹿が、
中身を好みで選び、
整理された思考か整理されていない思考かを、
判断できなくなり、
あとはグズグズになってゆく。


デジタルの資料作成でも同じだ。
イラレやパワポで、
最終的には綺麗に仕上がるものの、
そこにどれだけの試行錯誤があるかは、
デジタルには反映されない。

手書きならば、一発がきかどうかは見れば分かるのに。



表現とは、整理された思考のことである。

馬鹿がデジタルを使って、
整理された思考のように見える、実質ノイズを増やし続けている。


かくして、
ノイズだらけのデジタル世界では、
コミュニケーションスピードの速い、
写真が主流になるわけだ。
で、馬鹿発見のスピードも結果的に上がるという。


デジタルは人を幸せにしない。
デジタルでまとめられた文章の資料を、僕は信用しない。
要点を口で説明してくれと、直接言うことにしている。
相手が馬鹿かどうか、見極めるためである。


ちなみに、僕はキーボードで文章を考える人も、
ほとんど信用しない。
キーボードでまとめた思考はあとで必ず直すからだ。
思考をまとめるのはキーボードではなく、
人だからである。
posted by おおおかとしひこ at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック