で、不幸から幸福に至るルートそのものが、
テーマなのである。
たとえば、
ラッキーだけで幸福になる話があったとする。
これは詰まらない。
一瞬ラッキーで面白く見えるが、
最後の最後までラッキーだけで幸福になると詰まらない。
何故かというと、自力で幸せになっていないからである。
人は、
幸福のなり方を知りたいし、
幸福の意味を知りたい。
それが単なるラッキーだとしたら、
それは「意味のない物語」になってしまう。
「全ては偶然にすぎず、じたばたしても意味がない」
という結論だからだ。
(なお、「サイン」では、そのような偶然こそが神の意思である、
ということがモチーフになっている。
キリスト教独特の世界観(神の思し召し)であるため、
時にこの映画は信仰の映画と言われることもある)
ということで、
何らかの、自力で、主人公は幸福を勝ち取らなければならない。
その「やり方」がテーマになるのだ。
仲の良い友達全員で幸福を勝ち取れば、
絆やチーム力の大切さなどがテーマになるだろうし、
欠点を克服することで幸福を勝ち取れば、
その欠点の逆がテーマになるだろう。
あるいは、敵の体現するアンチテーゼを否定することで、
幸福を勝ち取れば、
その逆がテーマになるだろう。
勝つこと、幸福になること、そのやり方。
色々なルートでそこにたどり着くだろうけれど、
最後の印象が一番強いのがいい(パンチライン)。
こうして、
クライマックスの「問題を解決する瞬間」こそが、
テーマを意味することになるのである。
幸福に至るルートは、テーマを暗示する。
あなたがもし中盤を上手く書けないのだとしたら、
テーマが明らかになっていないのかも知れない。
人間の、人間社会の、何をテーマにしたいのか。
それはどのような行動で、言葉で示せるのか。
その結果どうなるのか。
それを決めてから、幸福に至るルートを創作してみてはどうか。
2016年11月21日
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