2016年11月23日

白紙に書き直すと起こる現象

僕はリライトするときは、
原稿を見ながら直すという普通のやり方ではなく、
頭のなかで整理が出来たら、
「何も見ずに」「白紙に」改めて書く方法を推奨している。

逆に、白紙に向かう勇気が出るまで、
白紙に最後まで書けるだけの整理が頭のなかでつくまで、
これをやってはならない。
必ず途中で元原稿を見たくなり、
それは振り返ると死ぬソドムの民と同じように、
元原稿を見た瞬間、以前のよくないものが、
現在の生き生きした白紙のものに紛れ込んで汚染してしまうからである。

さて、
このやり方にある程度慣れると、
面白い現象が時折あることに気づく。


それは、
「後々やらなければいけない段取りの、
上手い伏線が、序盤早々に出てくる」
ということである。

しかも、肝になる一番大事なものの伏線が、だ。

つまり、
以前の原稿では、
もたついて、後付けのようになっていた段取りの部分が、
エレガントに物事が進むように、
修正されるのである。

これは、以前最後まで書いたからこその現象である。
何がラストに大事になるか、
分かっているからこその、
序盤になるのだ。


第一稿ではなかなかこうはいかない。

後々使うつもりのことが何か、本当には明確ではないから、
使わないものの伏線を書いたり、
あとで使うものの伏線を仕込めなかったりする。

特に前者は致命的で、
色々面白そうなことがはじまったのに、あとで何にもならなかったり、
あれはどうなるんだろうと、起こらないことで期待して肩透かしされたりする。
(あとで使うのだろうと思わせ続けるハッタリをかます、
作家もいる。意図的か結果的かはおいておく)

原稿を見ながらのリライトでは、
この複雑に絡まった序盤戦を、
一個ずつ要素分解して、継ぎはぎをしなければならない。
(ゆえに、大抵不自然になる)

だが、白紙に書く方法では、
うまいこと整理されてリライトすることが可能なのだ。
勿論、ちょっと良かったものとかが、失われる可能性もある。
しかし、一番大事なことについて一番本質的に書けるのだから、
枝葉末節にとらわれないという点では、
このやり方がベストだと思う。
(逆に、枝葉末節を捨てることが本質に迫ること。
枝葉末節は、逆にこの原稿を見ながら足していくとよい)



結論。

原稿を見ながらのリライトは、足すことに有利。
原稿を見ずに白紙に書き出すリライトは、捨てることに有利。

捨てるのが苦手な人は、
一週間ぐらい頭のなかで寝かせて、ぐっすり寝て忘れて、
ふっと白紙に書きはじめるといいよ。

どれぐらい忘れた頃にやるといいかは、
経験的に分かるようになるので、
繰り返しやってみるといいだろう。


私たちの脳が、驚くほど寝てる間に情報を整理していることを、
実感できると思う。

整理することは、捨てること。
本質的な骨格をつくり、
後半のものをちゃんと前倒しておくこと。
posted by おおおかとしひこ at 09:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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