2016年11月24日

原稿を見ながらするリライト

白紙に一から書き直すリライトと、
対極のやり方を、整理しておこう。

逆にこのやり方は、砂かぶりレベルで文字を直すことが出来るわけだ。



書き立てホヤホヤの文章は、
筆が走っているのはいいのだが、
言いたいことをちゃんと言いきれてなかったり、
表現としてはあまりよくなかったりすることが多く、
それを直すには、
原稿を見ながら赤を入れていく、
いわゆる「直し」が効率的だ。
文章の一文字単位で、訂正を入れていくことが可能であるからだ。

だから、逆に、大局的な直しはこれでは不可能である。
「そもそもこのことを端折って、書くべきではない」とか、
「順番を入れ替えるべきだ」とか、
「テーマとモチーフがねじれている」とか、
そのような大局的なことに、砂かぶりの席では気づけないのである。


「白紙に一から書き直していく」方法論の利点は、これが出来ることにある。
逆に、白紙法では、一文字単位での直しは不可能で、
筆の走りに勢いをまかせるしかないのである。
(逆に、停滞した流れなく筆のスピードで一気に流れを描写するのにむいている)


昨日勢いに任せて書いたものを、
一晩寝かせて、一文字一文字直している。
ヴォルテールの言葉を入れたかったのに入れ忘れた、とか、
そういうバックアップ的な直しにも気づいた。

細かい目線と大きな目線。
リライトとは、両方をすることである。

世間では細かい赤のレベルしか、リライトとか言ってない、かも知れないね。
posted by おおおかとしひこ at 14:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヴォルテール、お好きですよね。
大岡さんの価値観に大きな影響を与えた哲学者なんでしょうか。
脚本家が知っておくべき哲学者とかっているんですかね。
(まあ知ってれば知ってるだけ良いんでしょうけど・・・)
Posted by シェンロン at 2016年11月25日 22:44
シェンロン様コメントありがとうございます。

僕はバリバリの理系(専門は数理工学、大学院で人工知能)なので、
実のところ哲学者に直接影響は受けてないんですよねえ。
ただ大学時代の親友が法学部だったので、
間接的に影響を受けてるのだと思われます。

脚本家が知るべき哲学者ねえ。
高校倫理、大学一般教養レベルでいいのではないでしょうか。
雑学的に広く知ることのほうが大事かも知れない。
ネット時代だから、名前さえ分れば深く掘れるし。

また、哲学や思想そのもの(点の知識)より、
「この考え方はのちにこの考え方のもとになった」とか、
「かつてはこのように考えられていたが、
最近はこのように考えるのが主流だ」なんて、
線の知識をたくわえたほうが、
脚本的に有利かもしれません。
Posted by おおおかとしひこ at 2016年11月25日 23:19
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