白紙に一から書き直すリライトと、
対極のやり方を、整理しておこう。
逆にこのやり方は、砂かぶりレベルで文字を直すことが出来るわけだ。
書き立てホヤホヤの文章は、
筆が走っているのはいいのだが、
言いたいことをちゃんと言いきれてなかったり、
表現としてはあまりよくなかったりすることが多く、
それを直すには、
原稿を見ながら赤を入れていく、
いわゆる「直し」が効率的だ。
文章の一文字単位で、訂正を入れていくことが可能であるからだ。
だから、逆に、大局的な直しはこれでは不可能である。
「そもそもこのことを端折って、書くべきではない」とか、
「順番を入れ替えるべきだ」とか、
「テーマとモチーフがねじれている」とか、
そのような大局的なことに、砂かぶりの席では気づけないのである。
「白紙に一から書き直していく」方法論の利点は、これが出来ることにある。
逆に、白紙法では、一文字単位での直しは不可能で、
筆の走りに勢いをまかせるしかないのである。
(逆に、停滞した流れなく筆のスピードで一気に流れを描写するのにむいている)
昨日勢いに任せて書いたものを、
一晩寝かせて、一文字一文字直している。
ヴォルテールの言葉を入れたかったのに入れ忘れた、とか、
そういうバックアップ的な直しにも気づいた。
細かい目線と大きな目線。
リライトとは、両方をすることである。
世間では細かい赤のレベルしか、リライトとか言ってない、かも知れないね。
2016年11月24日
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大岡さんの価値観に大きな影響を与えた哲学者なんでしょうか。
脚本家が知っておくべき哲学者とかっているんですかね。
(まあ知ってれば知ってるだけ良いんでしょうけど・・・)
僕はバリバリの理系(専門は数理工学、大学院で人工知能)なので、
実のところ哲学者に直接影響は受けてないんですよねえ。
ただ大学時代の親友が法学部だったので、
間接的に影響を受けてるのだと思われます。
脚本家が知るべき哲学者ねえ。
高校倫理、大学一般教養レベルでいいのではないでしょうか。
雑学的に広く知ることのほうが大事かも知れない。
ネット時代だから、名前さえ分れば深く掘れるし。
また、哲学や思想そのもの(点の知識)より、
「この考え方はのちにこの考え方のもとになった」とか、
「かつてはこのように考えられていたが、
最近はこのように考えるのが主流だ」なんて、
線の知識をたくわえたほうが、
脚本的に有利かもしれません。