リライト論、つづけます。
プロの現場では、
一人で脚本開発をすることはほとんどない。
脚本会議(ホン打ち)なるものがあり、
リライトにリライトを重ねていくのが通例だ。
ところで、ここで「意識の差」に気づかないとダメなのだ。
ホン打ちの場には、
脚本家本人、プロデューサー(一人から数名)、
監督(その時点で決まっていれば)が出席する。
そこで様々な立場から感想を述べ、
リライトするべきかどうか検討し、
その場で書き直すか、後日までの脚本家の宿題になるわけだ。
これを皆が同意するまでループする。
(脚本家が納得しない直しの発生があったとき、
納得いかないまま処世術として続けるか、
作品を守るために降りるかは、本当に難しい。
降りたらその人たちとの仕事は失うからである。
降りるのは最終手段にとっておき、
納得いかないのなら、「納得いかない」といい続けるのが、
今のところ最善策かも知れない)
さて、このリライト会議において、
一番注意すべきは、
「その人の視点がどこにあるかを見極めること」だ。
先に議論したように、
「原稿を見ながらのリライト」と、
「白紙にするリライト」では、
見ているものも、発想も、発想が及ぶ範囲も、
全然違うのである。
一番よくあるのは、
脚本家が書いたばかりだから、「原稿を見ながらのリライト」の視点にいるのに、
周りの人は「白紙へのリライト」という外の視点にいることである。
周りの人は全体的な流れやテーマがこれでいいのか、
という「見終えた人の視点」で話しているのに、
脚本家だけが、
その部分の直しばかりを考える視野狭窄に陥っていて、
「それでは全直しではないか」とパニックになることは、
一番ありがちなことである。
逆もある。
脚本家は全体的な視点に立っていて、
細かいことはあとで書き直すつもりで、
この方向性が正しいのかどうか話したいときに、
周りの人が台詞のテニヲハや、
あの場面とこの場面の繋がりとか、
そういう視野狭窄の話に終始するときもある。
そういうときは、
誰か(あなたが理想だが)が
「まずは全体の方向性について話しましょう」とか、
「全体のことより部分のことが気になっています」などと、
皆の視点を合わせてから、
話し合いに入るといい。
今話している箇所のことが、
シーンに渡る範囲のことなのか、
幕範囲のことなのか、
テーマや興行性に至ることなのか、
まるで違えば、話し合いも何もないからだ。
特にプロデューサーは素人会社員でも出来るから、
経験上最もバラツキがある。
自分が上に通す企画書が書けそうかどうかだけを気にしている視点の人もいるし、
自分が観客だとしたらこう思うという視点の人もいるし、
自分が宣伝部だとしたらこの作品に売りがないと言う人もいるし
(そこに売りを作るのがアンタの仕事だ!)、
自分の好みで台詞が気にくわないという人もいる。
最もいいプロデューサーは、
個人として作品を受け止めた上で、
一般的な観客のこととの差異を考えて、
刺さる層を把握し、
刺さらない層に刺すにはどうすればいいかを考え、
かつ、これを流行らせるにはどうあるべきかを考えた上で、
巨視的なことから発言する人のことである。
しかしそんな人はなかなかいない。
どうしても個人バイアスがかかるし、
そもそもプロデューサーと脚本家の視点の差が大きすぎる。
ちなみに、脚本を書ける監督と話をするのは容易いが、
脚本を書けない監督との話は、
恐らくディテールの話ばかりになってしまう。
キャストの話や絵の話やロケ地の話や衣装の話や音楽の話は、
脚本が決まってからやればいいのに、
そんなことばかり気にしているのだろう。
つまり。
ホン打ちの場で、
あなたが話したいことと、皆が話したいことは、
実は全然違う世界のことである確率が、常に100%に近いのだ。
あなたがホン打ちでするべきことは、
今、どの視点で話しているかを把握し、
皆の視点を合わせる司会者になることだったりする。
優秀なプロデューサーはこれが出来るけど、
ちゃんと出来る人は滅多にいないので、
期待するだけ話がややこしくなる。
脚本の打ち合わせなのだから、
脚本家が仕切るのが順当かも知れない。
それは、脚本家が最も客観的な視座にいて、
脚本家が最も砂かぶりの視座に同時にいなければならず、
皆の視点を察知して、
皆の視点を合わせることも出来なければならないということだ。
「自分の作品が通用するか分からないから、
客観的な意見を述べてほしくて、
その通りに修正する箇所を確認する会」に、
ホン打ちの場をするべきではない。
アマチュアの指導の場ではないのである。
そのためには、
脚本家の視点は、原稿ぎりぎりの文字レベルから、
白紙に書き直すレベルまで、
自在であるべきだ。
いきなりプロの打ち合わせに参加するのは無理だから、
常にリライトでは、視座を移動させる訓練をしていた方がいい。
やや上級者向けの話だけど、
いずれそれは日常になるのである。
30歳で出来る人もいるし、40歳になっても出来ない人もいるだろうね。
2016年11月25日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック