2016年11月25日

赤裸々

物語において、赤裸々な告白をするシーンは、
とてもセンシティブでいいシーンになることが多い。

ところで、あなたが赤裸々な告白(愛とは限らない)をされたら、
どうするだろうか。


その勇気を受け入れ、相手を認めるだろうか。
同じように赤裸々な告白をし、腹を割って仲良くなるだろうか。
それとも、いい利用する材料が出来たぞとほくそ笑んで、
仲間になったふりをするのか。

これからの二人の関係性は、これらの「反応」で決まる。
すなわち、リアクションである。

芝居とはリアクションである。
リアクションはこの場合、
「あつあつあつっ!」と大げさに驚いたり、
手を叩いて爆笑するなどの、「リアクション芸」のことではなく、
あることを目の前にしたときに、
自分の性格やバックグラウンドや目的によって、
「自分の態度や今後の行動やあり方を決めること」だ。

決める瞬間が芝居の肝になる場合もあるし、
決めたあとの行動が肝になる場合もあるが、
ケースバイケースだろう。

「敵は本能寺にあり」と明智光秀が言ったのは、
リアクションという芝居だ。
織田信長急襲を決定した瞬間の芝居だ。
(実際にはその前に愛宕詣でをしているので、
その時に決意したかも知れないが)

いずれにせよ、その瞬間は、たいていターニングポイントになるのである。

物語とは、決定の連鎖である。
リアクションとは、その決定を観客が知る瞬間である。
いずれにせよ、「赤裸々なもの」こそが、その人の本質に迫るのだ。
posted by おおおかとしひこ at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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