物語において、赤裸々な告白をするシーンは、
とてもセンシティブでいいシーンになることが多い。
ところで、あなたが赤裸々な告白(愛とは限らない)をされたら、
どうするだろうか。
その勇気を受け入れ、相手を認めるだろうか。
同じように赤裸々な告白をし、腹を割って仲良くなるだろうか。
それとも、いい利用する材料が出来たぞとほくそ笑んで、
仲間になったふりをするのか。
これからの二人の関係性は、これらの「反応」で決まる。
すなわち、リアクションである。
芝居とはリアクションである。
リアクションはこの場合、
「あつあつあつっ!」と大げさに驚いたり、
手を叩いて爆笑するなどの、「リアクション芸」のことではなく、
あることを目の前にしたときに、
自分の性格やバックグラウンドや目的によって、
「自分の態度や今後の行動やあり方を決めること」だ。
決める瞬間が芝居の肝になる場合もあるし、
決めたあとの行動が肝になる場合もあるが、
ケースバイケースだろう。
「敵は本能寺にあり」と明智光秀が言ったのは、
リアクションという芝居だ。
織田信長急襲を決定した瞬間の芝居だ。
(実際にはその前に愛宕詣でをしているので、
その時に決意したかも知れないが)
いずれにせよ、その瞬間は、たいていターニングポイントになるのである。
物語とは、決定の連鎖である。
リアクションとは、その決定を観客が知る瞬間である。
いずれにせよ、「赤裸々なもの」こそが、その人の本質に迫るのだ。
2016年11月25日
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