2016年11月27日

翻訳は、原理的にうまく行かない

表現に携わる我々なら、理解できるだろう。

何故なら、強い表現とは短く表現されるものであるべきであり、
それは、各言語によって異なるからである。


先日見た映画で、
複数の人がいる部屋で、
「席をはずしてくれ」と、
二人きりになり密談を始める場面があった。
今までなんの気にも止めなかった、
よくある普通の場面だった。

ところが僕のヒアリングの調子がよくて、
ちゃんとその台詞を、
「Excuse us」と聞き取れたのだ。

こんな短いキレのある表現だとは知らなかった。
今まで何千回も見てきたこの場面は、
「席をはずして、二人きりにさせてくれ」
なんて複雑な表現ではなく、
たった二語で表現できるものだったのだ。


スパイダーマンのテーマのセリフ、
「偉大なる力には、偉大なる責任が伴う」も、
原語ならば
「Great power has great responsibility」の5語である。
伴うという分かりにくい動詞に比べ、
haveの思いきりの良さよ。
それはhave responsibilityが組になってるからだよね。


特に映画や小説では、
決めになる台詞や表現ほど、
短くバシッと決めることが肝要だ。

しかしそれを、同じように短くバシッと決めた日本語にすることは、
とても困難であることは想像がつく。

逆に、こちらが短くバシッと日本語で決めたものを、
英語でバシッと短く決めることも、
同等に困難であることが想像がつく。
「トンネルを抜けると雪国であった」をどう翻訳するかは、
主語を省略できない言語圏の人々は大変だという話は、有名だ。

「心の闇を浄火せよ」というてんぐ探偵のキャッチコピーなんて、
うまくそのニュアンスを英語で伝えるのは、とても難しいだろうね。
(浄化、すなわち自浄というニュアンスは英語にはないと思う。
言葉というのは、その言葉から連想されるものが言葉の勢力範囲で、
キリスト教の浄化は、神によるものだろうからだ。
それは自ら浄化が訪れる、てんぐ探偵の物語とは異なるのだよね)


方言と標準語でおこるこうした齟齬も、
地方出身者なら経験しているだろう。
「なにいきっとんねんお前!」という大阪弁
(実はツッコミのニュアンスもある)は、
「調子のってんなよお前!」という翻訳では、
多くのニュアンスをそぎおとされる。

政府発行文書とか学術書なら関係ないが、
表現とはそのギリギリのニュアンスを描くものである。


短い言葉こそ、表現の真髄だ。


で、何が言いたいかというと、
映画を吹き替えで見てるやつは、
もったいないということだ。

翻訳が下手でも上手くても、
数語で言った所が勝負表現だと、
分からないからである。
たとえ英語が分からなくても、ここ大事と伝える表現者の気持ちを、
翻訳は消してしまうんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 14:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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