最後の印象が一番強い。
ラストシーンやクライマックスのことを思い出すといい。
これはシーン単位でも同様である。
シーン尻が一発で決まっているシーンは、
それが強く印象に残る。
「アンタッチャブル」から例を引いてみよう。
大きく言うと巨大ヤクザを撲滅する、
警察の特別チームの話だ。
中盤、
ヤクザのボス、アルカポネが、
ヤクザの幹部仲間を50人くらい招いたパーティーの場面だ。
円卓に皆を座らせ、
全員平等だということを強調する。
ホストのアルカポネの演説からシーンは始まる。
なお直前のシーンでは、
密輸がバレて、アルカポネ側が大打撃を被るシーンがある。
彼が何を言い出すのか、ぶちきれやしないかと、
幹部たちは戦々恐々としているのだ。
ところがそれを裏切って、
アルカポネはにこやかに、
「私の好きなのは、野球だ」と、
木製バットを取り出して言うのである。
「一人でやっていては勝てない。
チームで勝つから好きなのだ。
チームは素晴らしい。
一人ではなくチームのために働く野球を私は愛する」と。
これは、抜け駆けするな、裏切るなよという脅しだと、
どの幹部も分かりながら、
表面上は野球の話をにこやかに聞いている。
で、一際「チームだ」とおうむ返しににこやかに笑う幹部の前に、
アルカポネが立ち止まり、
やおらバットでその男の後頭部へ振り抜くのである。
一撃だけでなく、
テーブルに突っ伏したその男の後頭部を、
何度も何度もバットで叩く。
白いテーブルクロスに血が広がっても、
周りの者は何も言えない、という、
バットスイングが強烈な印象に残るシーンである。
これはセリフを用いていない、
一撃で決めた例である。
この行動で、
アルカポネは、「チームで私のために尽くすならばにこやかでいよう。
しかしチームに迷惑をかけるやつは叩き殺す」
ということを、バットで後頭部を殴る音で表現したわけだ。
いつアルカポネが切れるのか、
びくびくしながら始まったパーティが、
彼の演説で笑いすら起こるにこやかなものになる。
一見話がまとまったと見せておいての、
それを覆すフルスイング。
前ふりの焦点、ターニングポイント、
伏線(小道具としてのバット)の使い方、
無言という最良の台詞など、
映画的演出の効いた、理想的なワンシーンのひとつだと思う。
しかも美学が効いていて、
パーティはほとんど白のテーブルや椅子で表現されている。
もちろん、ラストの血を効果的に見せる為である。
(この映画は、何故かデ・パルマが真俯瞰のショットに凝っていたらしく、
巨大円卓に突っ伏す死体と流れ出る血と、おののく幹部たちが、
真俯瞰で捉えられるという変わった演出をしている。
ワンショットで全てを捉える、という意味でも、
シーン尻を一撃で決めているわけだ)
(ちなみに記憶だけで書いているので、細部が間違っている可能性があります)
シーン頭、シーン中は、
印象や記憶には残らない。
ただスムーズに面白くいければそれでよし。
勝負はシーン尻だ。
印象的な一発で決めて、
感銘を与えよう。
なるほど、と思わせたり、
すげえ、と思わせたり、
こええええ、と思わせたり、
これからどうなっちゃうんだ、と思わせたりしよう。
短編のラストに匹敵する、
シーン尻を作ろう。
その瞬間、私たちは観客席に座っていることを忘れる。
つまり、映画の世界のなかに入り込む。
2016年11月29日
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