2016年12月02日

そのエンドは魅力的か?

ラストシーンを決める派と、
決めない派がいる。
僕は決める派であるべきと考えている。

向かう先、エンドがそもそも魅力的でないと、
途中を面白くできないからである。


まずは魅力的なエンドを作ろう。
ハッピーエンドでもバッドエンドでもいい。

最後まで見てよかった、と思えて、
そのラストをずっと覚えている印象的な何かだ。

そもそもそのラストを描くために、すべてがある。
それがシナリオの構造設計だといえる。
勿論、結論は最後に来るのだから、
「その話の結論」である。

気の利いたセリフでもいいし、
印象的な絵でもいい。
何かを暗示するものになるのがベストだ。
言葉でまんま言うのは野暮なものだ。
論文じゃないんだからね。

名作のラストシーンだけを並べて比較するのも勉強になるよ。
それは、どんなことを言っているのかを並べて比較してもよい。

大抵、難しいことは言っていない。
私たちの既に知っている価値を再確認していることが多い。
逆に私たちは、私たちの既に知っている価値を再確認するために、
最終的には映画を観ているのかも知れない。
頭では知ってはいるが、本当にそれは価値のあることなのだなあ、
と具体で分かる、体で感じるために観るのかもだ。


あなたの書くラストシーンを、
暫定書いておこう。
実際には変わることが多いが、
本質は変わることはないだろう。
(たとえばてんぐ探偵12話「結婚の提案」では、
ラストのセリフのやり取りは書く前から決まっていたが、
シーンの具体的な地の文までは決まっていなかった)

ラストさえ決まれば、
いかにそこへ面白く着地できるか、逆算できるからである。
まっすぐ行ったら読めてしまうから、
こっちへストーリーを誘導しようなどという計算も成り立つだろう。

さて、このラストはいつ考えるのか。
プロット段階である。

頭に問題を書き、
次にラストを考えるときもあるし、
解決を考えてからラストを考えるときもあるし、
頭から問題、展開、解決と書いて、
ラストにうまいまとめを思いつくときもある。

プロットの完成とは全てのパートの骨格の完成だ。
あとはそのラストへ向けて、ディテールを面白くしていけばいいのだ。


ラストが決まっていないと、
全てのことがぶれると考える。

それ必要なかったよね、というパートや伏線も多数余るし、
そのラストにするならこういう伏線があれば良かったのに、
という不足も発生する。

長編連載なら、作者も考えながらやってるのをみんな知ってるから、
その無駄や不足についてはあまり問われないけれど、
映画は一気見することが前提の、
(長編連載から見れば)短編である。

つまり、
そのラストならこれは不要だし、
そのラストならこれは不足である、
ということがあるべきではない。

勿論、先にざーっと書いてからリライトで練る、
というやり方もあるけど、
執筆されたもので練るよりは、プロットで練ったほうが、
書き終えたプロットで練るよりは、メモ段階で練ったほうが、
自在なことが出来て大きな手間を省けるというものだ。
執筆してしまうと、それから直すのはとても大変だ。
経験上、もう一回一から書いた方がいいものになるくらいだ。
だから、練るならば最初期の段階でやるべきなのだ。


そのエンドは魅力的か?
どういう魅力を放つのだろうか?
エンド単独の魅力なぞない。
こういう話だったからこそのエンド、という魅力のはずである。
つまりエンドとは、点でなく線の終端という魅力のはずである。
(めでたしめでたし、という点だから魅力的なのではなく、
こういう激動の悲劇だったからこそ、ハッピーエンドが輝く魅力になる、
などとなるはずである)

先に決めて、そこへ向かおう。
シナリオとは計画である。
計画性のない計画は、破綻と相場が決まっている。
(若いうちは無計画の成功が面白い時もある。
しかしそれで成功するのはラッキーマンだけだ)
posted by おおおかとしひこ at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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