是枝氏の発言がずっと気になっていて、
彼の真意は別としても、
そもそもマスコミという出力口が、
パーツを分解して理解した気になっているのでは、
という思いに至った。
パーツを分解して理解した気になるのは、
世の中にある元素を発見して喜んでいるレベルに過ぎない。
我々錬金術師はその後、
元素同士の働きを調べ、組み合わせを選び、
釜のなかで茹で、新しい物質を産み出すのが仕事である。
つまりは元素に分解するごときは、
仕事の前半戦どころか、
ほんの下調べにしか過ぎないということだ。
時計を分解して構造をわかった気になったとしても、
ゼロから新しい時計を作ることとはまた違う。
「うむ、この料理は炭水化物とたんぱく質から出来ている」
という理解は、その料理を理解したとは言えないだろう。
ところで、錬金術師のたとえでいうならば、
私たちの仕事、ストーリーというのは化学式のようなものである。
たとえば、
CaCO3 + H2O → Ca(OH)2 + CO2
みたいなカルスト大地から天然炭酸水を作る化学式を例にとろうか。
ペリエはこうやって作られている。
ある要素と要素から、別の要素と別の要素へと、
変化する様を描くのが化学式である。
左から右へ進むのが自然(常温常圧で、エントロピーの進む方向)だが、
右から左へ進む逆反応を人工的に作ることも出来る。
で、多分、ストーリーというのは、
自然にほうっておいたらダメになってしまう人生を、
なんらかの力で変えていくことだから、
右から左へ進む、無理矢理な逆反応に近いものではないかと思うのだ。
逆反応の条件こそが、動機の強さだと思う。
(化学では高温高圧や、触媒が条件になりやすい)
さて、このようなことを考えることが錬金術師である。
元素に分解するだけのことは、
このことの基礎に過ぎないわけだ。
我々ストーリーの錬金術師は、
登場人物や、問題や解決や、焦点やターニングポイントや、
幕構成や、動機や目的や、立場やコンフリクトや、
内的問題や外的問題や、オープニングやクライマックスや、
カタルシスなどの、
元素をよく知っているだけでなく、
それらをどう組み合わせて、新しい物質を作るかを考える人である。
受ける要素に分解して、
だからそれがヒットしたのだと分析するのは、
「この料理には炭水化物が入っているから売れている」
という分析ぐらい、精度が低いものではないかと思う次第だ。
では何故「君の名は。」がヒットしたのか?
面白い話が最近なかったからだと思うよ。
ヒットの法則とかマーケティング事情と関係ない、
新しい作品だったからこそ、受けたのだと思う。
つまりこの夏の二本のヒット、シンゴジラも君の名はも、
「最近なかった面白い映画」だからヒットしたのだ。
「アンパイ狙った小さくまとまった作品」ばかりの世の中で、
真っ向勝負して、彼らが勝っただけである。
勿論、最高傑作というにはまだ僕は全然足りないと思っていて、
それは過去に議論したので繰り返さない。
世の中はベターで回っていて、ベストで回っているわけではない。
それでも、至高を目指すのが作り手というものである。
ということで、
劇評をきちんと出来るマスコミが、
今や絶滅の危機にいるのではないかというのが、
当該記事から見た僕の危惧である。
スポーツ新聞の映画記事レベル、
つまりどの人気芸能人がどんなコスプレをするかで、
映画の何を分かったというのだ。
2016年12月02日
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