撮影の話を少ししてみよう。
絵作りが撮影だ。
絵作りは何をするのか。
まずは光を読むことからはじめる。
撮影とは光を定着することであり、
その光を作ることが撮影である。
ものすごく基礎的なこと。
順光と逆光とその他の光がある。
順光は全てがうつるので、正面の堂々とした、明るい絵になる。
逆光は一部がつぶれ、ドラマティックな絵になる。
サイド光はその中間だ。
どの絵を順光にしどの絵を逆光にするかは、
監督とカメラマンが決め、照明部がそれを作る。
一番デカい照明が太陽なので、だからオープンロケは、
太陽がいつどの位置にいるかを計算して事前に撮影計画を立てる必要がある。
(それでも計画通りの天気になるわけないので、
現場でアドリブを利かせるわけだけだ。
21世紀の今になっても、太陽より明るい照明機材は開発されていない)
それは、どのような内容がどのような絵になるべきか、
という表現である。
絵を描くことにたとえるなら、
どこを赤で塗ってどこを水色に塗るべきかということだ。
どこを一番明るくして、どこを一番暗くするかということだ。
潰しすぎたら起こし(レフや別ライト)を入れる。
地面や壁や机の反射を消すために暗幕で潰す。
反逆光を入れてエッジを足したり(タッチライト)、
瞳に明かりを入れて生き生きとさせる(キャッチライト)。
窓からの明かりがあるなら、
それが部屋の中にどのように影響するかもコントロールする。
複数照明があり、影が干渉するならその影も消す。
撮影絞りをいくつにするかに合わせて、
ある場所をN倍明るく、ある場所をN倍暗くすることがライティングであり、
それはどのような絵を作るかということに関係している。
たとえばカッコイイ絵を作るとき、
どれをメインライトにし、どのように画面の明暗を作るか。
どこにどんな色を足し、どんな色を引くか。
それが絵作りだ。
正解は無限にあるし、工程が少ないほうがコストや時間にやさしい。
我々現場のスタッフは、照明こそが撮影であると考える。
勿論、カメラ前のもの、
すなわち、ロケーションやセット美術、小道具や衣装、そして出演者、
メイク、芝居そのものが既に用意されているとしての、絵作りの話をしている。
(さらに音のことがあるのだが、簡単のため絵の話に絞ろう)
さて本題。
この話は、実は脚本には、全く関係ないことに注意しよう。
脚本とは、絵作りと無縁である。(極論)
絵と関係ない、文脈だけが書いてあるのが脚本だ。
時々、脚本を読んで「絵が想像できない」とか、
「この脚本からあんな絵が出来るとは」なんて言う人がいるが、
それは脚本と絵の関係を分ってないのである。
絵作りは、脚本のあとにすることだ。
先にすることではない。
文脈を絵で表現するからである。
絵で見せる所と絵で見せない所を選択するのは、監督の仕事だからだ。
また文脈にはないが、美しい絵を追加して心を奪うのも、監督の仕事である。
今とある脚本を書いていて、
それを読ませたあとに、
コンテを見せたら、
「正直、ここまでの絵が出来るとは思ってなかった」と言われた。
それはあんたの読みが浅いか、脚本の役割を分ってないのだと返したら、
すまなそうに笑っていた。
プロと言われるレベルでそんななのだから、
素人が脚本なんて「読める」
(映画のストーリーと絵作りを独立して考えること。
絵に影響されずにストーリーだけを見れること。
ストーリーだけを見て、
下手な想像(しょぼい絵)で以降の見積もりをしてしまうのを避けること)
わけないなあ、と思った。
脚本というストーリー(流れ、要素や構造、テーマ、時代性など)が先立つ。
そのあとに絵作りをする。
最初に見るのは絵で、最後に自分の中に残るのはストーリー。
(そして記憶に残るのは、一枚絵とテーマ)
いわば、逆順に映画というのは作られているわけである。
2016年12月02日
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