2016年12月05日

表と裏

人間には、表と裏がある。
子供にすらある。

これを描かなくて、なんの文学か。


裏と表をうまく描こう。
簡単なのは、相手によって、話題によって、
人格や知っていることを変えることだ。
それはひとつの人格の中で首尾一貫している。
「いくつもの顔を使い分けている」という意識で、である。

従ってこの意識が崩れるときがドラマのチャンスになる。
浮気と本妻で使い分けていたものがバレたときは、
その典型だ。
嘘や矛盾を突かれてしどろもどろになったとき、
人間は考えもしなかった言い訳をしたりして、
それが滑稽であることが多い。

原発の菌いじめを、
「ヒカキンのキンのつもりだった」という言い訳に、
腹を抱えて笑った。
現実は創作の斜め上に来るものだ。
(逆に創作だったら下手な台詞だぜ)

失言も、ドラマのチャンスだ。
使い分けていたものがうっかり混ざるときが、
大抵失言である。
それを繕うのか、傷を拡大していくのかは、話次第だが。


裏表がある人と裏表がある人同士の会話は、
非常に興味深い。
それらをコントロールしきれれば、
デスノートみたいな頭脳戦も書けるだろうね。

簡単なところでは、女子の友情。
表面上はなかいいふりをして、
いなくなったら悪口合戦。
男の友情ではあまり考えられないが、
表面上の付き合いでいえば、営業活動がそれに当たるのかもね。

本当はこう思っているのだが、
表面上こうしている。
そのギャップが人を苦しめる。
その圧力は、行動の燃料になるわけだ。
つまり人は、裏表なく生きたいのだね。

だから、裏表がない状態は、
ドラマにならない。
裏表がある状態が、ドラマのスタートだ。

誤解や秘密や嘘やごり押しが、何故ドラマと相性がいいかの答えがこれだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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