面白い実験を見た。
直線を500人がトレースする。
500人目にどう原型が伴っていないか、という動画。
伝言ゲームの視覚化ともいえる。
https://www.youtube.com/watch?v=l-uNFaUJo5c
伝言ゲームがいかに元を歪めるか、
非常に興味深い結果である。
今の映像業界の問題点は、
関わる人のレイヤーが多すぎて、
全員が一堂に会することができず、
伝達伝達になり、情報が歪むことだ。
(歪まないためにメールで明文化することが習慣化しているが、
それは単なる命令や通達になってしまい、
意味や価値の共有以前の、議論の機会を奪っている)
その感じがうまく可視化されていて興味深かった。
ところでこれを作った人は、
生物の進化もこのようなのではないか、と示唆している。
つまりアナログのダビングは、
特徴を強調し、突然変異的に結びつきやすく、
そこが成長していくということの可視化でもあるわけだ。
デジタルコピーのパクりは意味がなく、
アナログで覚えて身につけることのほうが創作には有利だと、
僕は考えているが、
それはこのようなことが自分の中で起こるからである。
原型を留めていないクラスにまで進化すれば、
それはもはやオリジナルなわけだ。
佐野の良くないところは、デジタルコピーしかしていないところにある。
さて本題。
これらは、意味を伴わないなぞりだからこそ、
このような暴れたものになった。
ここに意味を一言加えるとどうなるか。
「これはたて一直線です」と。
それが分かれば、
前の人の線に誤魔化されず、自分なりの線で直線を引くだろう。
それは500回なぞっても保持されるだろう。
進化の途中、一瞬V字が現れて継承される部分があるが、
「V字がある」という意味を読み取れるレベルでは割と伝承がうまくいっている。
しかし意味が失われれば、すぐに伝承は失われて行く様を見れる。
伝達は、表現でなく意味である。
ものすごく簡単に言えば、こういうことだ。
2016年12月06日
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