逆に名前が呪いになるのは、
名前を頻繁に「目にするとき」である。
名前の呪いは音ではなく、視覚でかかる。
音で名前を聞いていたとしても、
「へえそういう字を書くんだ」と思った経験はないだろうか。
つまり耳でなく目で名前を認識する瞬間だ。
日本には同音異字が多いから、
意味を確定するのは目だからかもだ。
逆に、名前を頻繁に視覚で確認する、
小説やマンガなどの紙媒体では、
簡単にこの呪いをかけることができる。
その人っぽい名前を書くだけで、
その人っぽい感じを醸すことが可能だからだ。
その人が無表情でも、何も考えていなくても、
台詞を喋らなくても行動しなくても、
エピソードを披露しなくても、
その人の名前がその人っぼい空気を連れてくる。
映画やマンガの視覚メディアでは、
その人のファッションや持ち物などのビジュアルが、
名前の呪いに近いかも知れない。
キャラ設定絵は、その代表的なものであろう。
つまりは、その人の「目に入るもの」、
名前そのものやビジュアルが呪いをかける、
すなわちそれがその人っぼさを表現するのである。
脚本は、そのどちらでもないことに注意せよ。
名前に小説のような機能はない。
役名を全部AやBに置き換えても面白い話でなければならない。
(別役実の戯曲は、全て男1などの表記であるらしい)
その人らしさを示すのは、エピソード
(この人はこういうときにこうした)のみである。
勿論、監督がビジュアル設計をするときに、
脚本から読み取れるその人らしいビジュアルにして、
名前の呪いにかけることもあるが、
それは脚本のあとの段階の話である。
キャラ設定では話は書けない、
という経験則を、裏から見た話だ。
試しに、あなたの脚本の役名を、
全部ABCD…などに置換してみよ。
それでも面白く、各人物の書き分けが出来ていれば、
それは面白い脚本である。
名前の呪いにかからないためには、そのようなことを知ることだ。
2016年12月12日
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