2016年12月12日

名前は呪い2

逆に名前が呪いになるのは、
名前を頻繁に「目にするとき」である。
名前の呪いは音ではなく、視覚でかかる。


音で名前を聞いていたとしても、
「へえそういう字を書くんだ」と思った経験はないだろうか。
つまり耳でなく目で名前を認識する瞬間だ。
日本には同音異字が多いから、
意味を確定するのは目だからかもだ。

逆に、名前を頻繁に視覚で確認する、
小説やマンガなどの紙媒体では、
簡単にこの呪いをかけることができる。

その人っぽい名前を書くだけで、
その人っぽい感じを醸すことが可能だからだ。
その人が無表情でも、何も考えていなくても、
台詞を喋らなくても行動しなくても、
エピソードを披露しなくても、
その人の名前がその人っぼい空気を連れてくる。

映画やマンガの視覚メディアでは、
その人のファッションや持ち物などのビジュアルが、
名前の呪いに近いかも知れない。
キャラ設定絵は、その代表的なものであろう。

つまりは、その人の「目に入るもの」、
名前そのものやビジュアルが呪いをかける、
すなわちそれがその人っぼさを表現するのである。


脚本は、そのどちらでもないことに注意せよ。

名前に小説のような機能はない。
役名を全部AやBに置き換えても面白い話でなければならない。
(別役実の戯曲は、全て男1などの表記であるらしい)
その人らしさを示すのは、エピソード
(この人はこういうときにこうした)のみである。

勿論、監督がビジュアル設計をするときに、
脚本から読み取れるその人らしいビジュアルにして、
名前の呪いにかけることもあるが、
それは脚本のあとの段階の話である。



キャラ設定では話は書けない、
という経験則を、裏から見た話だ。

試しに、あなたの脚本の役名を、
全部ABCD…などに置換してみよ。
それでも面白く、各人物の書き分けが出来ていれば、
それは面白い脚本である。

名前の呪いにかからないためには、そのようなことを知ることだ。
posted by おおおかとしひこ at 08:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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