脚本論も更新しておくよ。
日本はハイコンテクスト社会だと良く言われる。
ブラジルは超ローコンテクスト社会。
分りやすい説明はここかな。
http://www.pan-nations.co.jp/column_001_006.html
つまり日本の文化は、
省略に意味をこめる。
省略されたところに真意がある。察してねってこと。空気を読むのも同じ。
たとえばこんな話が業界にあった。
地方から来たお客さんを飲みに連れてって、
さほど親しい関係でもないので、
「このあと風俗いきます?」と言わなかった。
で、後日聞いたら「風俗連れてってくれなかった」とクレームが来たらしい。
「風俗行く流れにならないのは、
言わない側でなく、聞かなかった側に責任がある」
という空気嫁接待なわけですわ。
つまり、省略されたところに真意があるという。
「自分から風俗連れてけと言うのは野暮だが、そこは聞いてほしい」
が省略された真意。
一方ブラジルは超ローコンテクスト社会。
西洋人全般がそうだけど、
プレゼンしないと、ないのと同じ扱い。
お前は昨日風俗連れてけと言わなかったではないか、と逆に文句を言えるわけですわ。
じゃあ、どっちが文化的か?
ローコンテクストは、直接過ぎて文化たりえるのか、ってことかも。
しかしハイコンテクストは、その社会以外の者が味わうには難しい。
今更深夜アニメに俺は飛び込めない。
ハリウッドはどうしてるか。
誰もが分るローコンテクストから入るわけです。
どんな特殊な環境、特殊な事情でも、
誰でも感情移入できる仕掛けをつくり、
複雑な世界なのにローコンテクストで観客をまきこむ。
死ぬとか別れるとかの、分りやすい危険が後ろにあることも大きい。
さて、
ここから文学たりえるのは、
ラストがハイコンテクストで終わるところだ。
ハリウッドの格言「最高の台詞は無言である」を思い出すとよい。
それは「無言で伝わるように、これまでのことを考えれば明らかだ」
という文脈を、「二時間かけてつくりあげる」ことなのである。
今二時間見て来たんだから、言わなくても分るよね、と無言で終わらせるのが、
上質なハイコンテクストだというわけだ。
ローコンテクストで入り、
ハイコンテクストで終われ。
それがハリウッド映画の特徴ではないかと思う。
日本では、たとえば「マイナースポーツ漫画」とかがそれに近いかな。
最初はみんなそれを知らない所からはじめて、
段々ルールが分ってきて、
最後はそれを説明しなくても暗黙の了解になっている、
なんてのはよくあるよね。
卓球を題材(モチーフ)にした「ピンポン」(松本大洋)は、
そのローコンテクストがうまく行かず、
僕は結局入れなかったなあ。
ちゃんと読めば卓球の本質関係ない話なのに、
当時のスピリッツが「前衛型」とか余計なのを欄外に書いてたよね。
あなたのストーリーは、
どれほどのバックグラウンドの無言の省略が必要か?
その見極めは、自分がハイコンテクストに慣れてると難しい。
外人としゃべったりするのが理想だ。
ブラジルに来てもいい。
日本だと関西人としゃべるのがいいぞ。
そのときに、「君たちは分らなくていい」とコミュニケーションを否定しては、
大きな作品にはならないわけだ。
全然違う文化の人を巻きこめる序盤、
世界のルールを染みとおさせていく中盤、
説明しなくても無言で伝わる終盤、
になるのが、理想である。
(どうすればそれが出来るかは、経験かもね)
2016年12月14日
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