そういう問いをしてみよう。
設定を決めてからでないと話が書けない人は、このやり方を試すこと。
設定を決めることは、
あなたの妄想を膨らませることにしかならず、
「話をつくる」ことにはほとんど寄与しないことを学ぼう。
さて、まず話の概略ありきで考える。
こうやってこうなってこうなる話、ぐらいでいい。
で、それをやるなら、最も自然な(あるいは無理のない)設定は何か、
を逆に考えるのである。
教師でも主婦でも成り立つ話はあまりないだろう。
漫画家でも小説家でも成り立つ話はありそうだ。
泥棒でも刑事でも成り立つ話も、つくれそうだ
(役割逆転ものか、バディもので主役をどちらかにするだけだ)。
主人公の職業だけでなく、場の設定もそうだ。
今考えてる話は、タワーマンションを舞台にしようと思ったのだが、
考えてるうちに団地でも成立すると気づいた。
そうやって、話を練っていくのである。
俺は団地の話が書きたいのか、タワマンの話が書きたいのか。
団地になくタワマンである話、その逆。
話と設定は、このように回転しながら練られていく。
たとえば面白いどんでん返しを思いついたら、
それが成立するのが自然な、あるいは逆に最も読まれにくい、
設定を作っていくのである。
そうすると、設定が先なのか話が先なのか、
もはや混然一体とした話になっていくのである。
よく地方観光誘致のために、
その場所ありきの話を作らされることがある。
それは絶対に成功しない。
話が設定から生まれるとしか思っていない、初心者の思い込みだろう。
そういう話をするのに、どういう設定が自然か。
話ありきである。
(逆に、こういう話を書くにはどういう町を舞台にすればいいのか調べてくれる、
観光局と連動したシナハンコーディネーターがいてもいいと思うんだけどね)
2016年12月14日
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