若い男はブラジルに行け。
地球の裏側で、どれだけ自分の世界が狭かったかを知るべきだ。
そして、地球の裏側でも、これぐらいしか違わないと知ることだ。
人類皆兄弟なんてバカバカしい標語だと思ってたけど、
ああ、地球の裏側にいっても、だいぶ違うけど大体同じだと、
知ることが出来るぞ。
さてブラジル民族格闘技の旅(ちがう)、カポエイラ編。
カポエイラは謎の格闘技である。
大山倍達が闘った、蹴りを中心とした謎の格闘技として、
私たち日本人には最初に紹介された。
「逆立ちしながら蹴りを放って戦う」というそのイメージがまるで湧かない。
漫画「コータローまかりとおる!」のカポエイラ使いが、
ようやくなんとかイメージしやすいものになった。
倒れながら側転し、その勢いで外から蹴るのだと。
なるほどそれは威力がありそうだ。
しかしそれは、大技ばかりの大味な武術ではないか?
99年に、僕はロサンゼルスに一か月仕事で滞在できた。
Black Belt誌などを買いあさり、
カポエイラの入門ビデオ(英語版)全六巻を大枚はたいて買ったものだ。
そこで見たものは、
ジンガという左右にステップしながら、
左へ行くときは、
左に側転するか、
右回し蹴り(上中下段)を放つか、
左後ろ回し(上中下段)にするか、
右に行くときはその逆、
またはステップから低くなり、そこから側転へ展開するルートもある、
という、手足を地面についたりつかなかったりする、
立体的な武術であった。
その頃横浜にカポエイラ(ヘイジョナウ派:伝統的なもの
にアクロバティックな動きを混ぜたもの)が来て、
僕は横浜公園まで演武を見に行っている。
その時の印象も、
アクロバティックな動きは派手だが、
独自の技はあまりなく、回し蹴りと後ろ回しがあるテコンドーに、
側転と逆立ちのオプションをつけたようなものにしか見えてなかった。
追い打ちをかけたのが、マーク・ダカスコスの、
「Only the Strong」。おそらく世界初のカポエイラ映画だ。
不良にカポエラマスターの先生がカポエラを教える、
というカラテキッドのカポエラ版だ。
B級のためビデオスルー、僕はビデオで見た。
(ゲームの鉄拳のカポエイラ使いは、この映画が元ネタ。
スト2のデイージェーは全然カポエイラの技を使ってない)
サントラが超いい。今でも持っている。
パラナウェ〜はみんな歌えるよね。
ちなみにこのころ成り立ちを勉強し、
これらの音楽は全てアフリカの音楽であることを知る。
大航海時代、アフリカから連れてこられた奴隷たち。
ポルトガル人は、彼らが言葉を通じて結束しないように、
わざと違う地方の黒人たちを混ぜて使った。
だから黒人たちは、言葉を介さずに理解しあった。
音楽と武術で。
彼らは互いの言葉は分らないが、音楽と武術を介してなら、
理解しあうことが出来た。
しかも手錠をはめたまま戦える、地面に手をつき、足で蹴る奇想天外。
それはアフリカの音楽、ビリンバウの奏でるリズムで行われる。
こうして世界に稀にみる特異な武術、カポエイラが出来上がった。
この成り立ちはあまりにも面白いので、いつか映画化したいと思っている。
とくに発達したのが、足の指にナイフ
(彼らに与えられたのは髭剃り用の小さなもの)を挟み、
蹴りの代わりに切ったり刺したりする技術らしい。
さて、ここまで調べて、
ヘイジョナウは伝統のものにカンフーや空手などの蹴りや、
側宙などのアクロバティックを混ぜたものだと知る。
伝統的なものはアンゴーラというのだと。
そう、アフリカの一国、アンゴラのことだ。
ポルトガルの主なアフリカ植民地だった場所だ。
奴隷として大西洋を渡って連れてこられても、
彼らアンゴラ人は音楽と武術で抵抗し、
現代までそれを脈々と伝えているのだ。
前置きが長くなった。
たった今、そのカポエイラ・アンゴーラのとある道場の練習の二時間半を、
たっぷり見学させてもらった。
彼らの音楽は、まったくもってアフリカ音楽だった。
何日かポルトガル語に晒されたので、
彼らの歌がポルトガル語でないことはすぐに分かった。
きっとアフリカの言葉だろう。
輪になって歌う(ホーダ)のが独特で、
師匠の歌を皆が復唱する。それがどんどん長くなってゆく。
あるところまで来たら、新人に最初のほうを歌わせる。
うまく言えなかったら、一節歌えるまでみんながつきあう、
というのがとても印象的だった。
どう考えても、これは「歌による言葉の伝承」である。
周りがポルトガル語の環境下で、
彼ら奴隷は、自国の言葉を歌で伝えたのだ。
その歌に乗って闘う、手錠をはめられた武術。
それをこの目で見て泣いてしまった。
人類の文化の誕生と継承を、この目で見れたからである。
現代の蹴りで舞うブラジル人は、
そのアフリカの言葉を100%理解してないと思う。
理解しなくても、これは次の代に伝承されるのだろう。
師匠の人が下手な人にも怒らず、
上級者と同じように丁寧に何回も何回も教えてるのが印象的だった。
しごくのではなく、出来るまでやらせるのでもなく、
出来る所までやりなさい、いつでも教えてあげるという、
これは師匠ではなく、親のスタンスだなあと思った。
カポエイラは、奴隷から奴隷に継承される。
いつか彼らが故郷に帰れるまでだ。
この歌を聞いて、ルーツのアンゴラに行きたくなった。
アンゴラでもこの歌はまだ歌われているのだろうか。
奴隷たちの魂を、アンゴラに帰還させてあげたいと強く思った。
さて、技術的な話。
アンゴラ派は、太極拳のようにゆっくり動く。
しかも二人組でやるのが特徴だ。
推手のように最初の体勢だけ決めておいて
(太極拳の乱採花の活歩に酷似)、
ゆっくりとアドリブの組み手を繰り返す(ジョーゴ)。
上手な人と下手な人が組む。
回転しながらの攻防で、必ず上級者が下級者に逃げ道をひとつだけ作ってやる。
その逃げ道に逃げたらまた追い込んでいく、
という感じの回転を延々とやる。
上級者同士の組み手もみたが、
リアルスピードなら一撃で決まる場面の連続であった。
手での攻撃はないけど、肩や胸の当てや、頭突きはありだ。
勿論寸止めだけど、知らなければ初見殺し間違いない技ばかりだった。
印象に残ったのは、一時間近くかけてやる基礎だ。
柔軟も独特で、首を中心に、足はあまりやらない。むしろ手の柔軟のほうが多かった。
つまり逆立ちするための柔軟である。
さらに面白かったのは、中央で立ってる人が棒になり、
周りを囲んだ四人が棒倒しをするようにパスする、
というやつだった。
棒になることで体軸をつくるのかな、と思った。
この真意がわかるのは少しあとだった。
なんと、その次は逆立ちでそれをやるのだ。
逆立ち状態の時に、どこまで傾けば自然と倒れてしまうかを知り、
体軸を垂直に保てるかどうかを、棒倒しされながら学ぶのである。
これは、じかに見ないと分らないトレーニングだった。
(ほかにもいくつか面白いのがあったけど、胸に秘める)
つまりカポエリスタは、ジョーゴよりもまず体を作ることが先なのだなと。
いくつか型も見せてもらった。
上段攻撃を想定してのけぞり
(師匠はマトリックスと冗談を言いながらやってた)、
尻を突くと同時に足払い、そのまま側転する、というもの
(側転のときに蹴れたら蹴る)。
初手から地面に手を突く展開だ。
ブラジルに来て分ったのだが、地面が汚い。
果物は落ちてるし、地面にペットボトルの蓋は挟まってるし、
裸足なら一瞬で黒くなる。
食堂でも、みんな食べかすを床に捨てる。
掃除するのは店の人。
土足で家に上がる外人と同じなのだろう。
床は全部汚くて、メイドが勝手に拭いてくれるものにすぎない感覚。
つまり、地面に倒されることは、真っ黒になるものすごい屈辱だ。
それを逆用して、初手から真っ黒になりに行く。
なにもかも逆転の発想の武術である。
実際、転がりまくった彼らのTシャツは、真っ黒になっていた。
地面についた手も足の裏も、頬もだ。
それは、彼らの誇りなのだろう。
マツダの「ズーンズーンズーン」は、カポエラの曲だ。
Only the Strongのサントラにも入っている(Zoom Zoom Zoom)。
それを知ってて採用したかは知らない。
この曲がどこ由来の曲か、
いつか調べて里に帰らせてあげたい。
ついでにポルトガルの歴史とか、大航海時代とか、
調べ始めているよ俺。
地球の裏側は、別世界でもなんでもない。
生きようとする人が大事に伝承していく、
僕らが知っているところと同じところだった。
2016年12月15日
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