カポエイラの記事で書き忘れたこと。
地面は汚い、という話。
ブラジルはポルトガル領だったので、基本ヨーロッパの生活スタイルだ。
家は土足である。
で、家の床は上等が石、中がタイル張り、下がコンクリや木である。
これは何を基準としているかというと、
「水で洗い流せるかどうか」ということだ。
我々日本人の床に対する考え方と欧米人のそれは、全然違う。
やつらは床になんでも捨てる。食べかすやペットボトルやナプキンや、
極端には痰や唾も。
家でも店でもだ。
たとえばレストランで出されたパンの、パンくずはどこへ捨てるか。
日本人なら皿の上だろう。テーブルにこぼれたら、
それを皿の上にすら戻すだろうね。
ところがやつらは違う。
パンくずは手で払って床に捨てるのである。
外の地面と同じものが床であると考えているらしい。
だから床は、まとめて洗い流せるかどうかで考えるのだ。
そんなのめんどくさいと日本人なら思う。
だがやつらは自分で掃除するときのことなど考えない。
「掃除はメイドの仕事」だからである。
この、労働は奴隷がやる、という発想が外人だと思う。
僕ら日本人は「自分で掃除する」という考え方が身についているから、
わざわざ床を汚すのは汚いと考える。
ちなみに、ブラジルの小学校(おそらく欧米も)では、
「掃除の時間」というものはないそうだ。
「自分の使う場所を自分で掃除する」という考え方ではなく、
「汚すとか汚さないに関係なく、掃除は掃除の人がやる」
と考えるのである。
だからこんなやつらに三秒ルールは通用しない。
そんな汚い床に落ちたら、一秒だろうがアウトである。
第一彼らには「勿体ない」という考え方などない。
食べたいだけ食べて、余ったら全部捨てる。
マクドナルドの廃棄をはじめて日本人が見た時、
勿体ないとだれもが思ったが、
彼らにとっては日常の食事もそうなのだ。
だから家庭料理でも、「残す」ということは悪でもなんでもない。
よく映画の母親がガーッと捨てるように、
ゴミ箱に全部捨てればOKなのである。
その床やゴミに対する感覚は、家まで続いている。
だからやつらは家でも土足だ。
床は地面と同じ。
洗い流せる(モップ掛け出来る)かどうかが基準だ。
こういう考え方だから、ベッドに足をかけやがるのである。
よくホテルのベッドに、足側にある長方形の謎の布の正体をご存じだろうか。
あれは靴のまま寝転がっても、布団が汚れないためのカバーなのだそうだ。
ベッドのCMをやったとき、家具屋さんに教えてもらってびっくりしたものだ。
つまり、やつらは土足でベッドに寝転がるのが前提の文化なのである。
我々はホテルに入っていったん靴を脱いだら、
本来はスリッパを使うべきなのだが、
つい裸足のままでそこらをうろうろしがちだ。
外人にとってみれば、それはゴミで溢れた地面を歩くに等しいのである。
事実、リオデジャネイロの地面はとても汚れていた。
そもそも側溝の排水溝が機能しない。
公共工事がまず出来ていない。
そこらじゅうに水たまりがあり、その際は黒い埃のようなものがこびりついている。
そのうちマラリア蚊が湧くだろうな、と思わせる感じだ。
果物のカスやら王冠の蓋やらは当たり前に転がる。
オリンピックからこちら、ポイ捨てが禁止になったそうだ。
逆に言えば、ポイ捨ては常識の地面だったのである。
リオの歩道は全てモザイクタイルの地面である。
これはポルトガル様式らしい。
モザイクタイルといえば素敵に聞こえるが、
実際これは石畳に必要な石をそろえられなかっただけに見える。
石畳といえば、不潔な床の代表である。
そして石畳も、モザイクタイルも、石と石の隙間に、水と埃がたまってゆく。
排水溝は機能せず、スコールの時は水があふれると通訳は言っていた。
それが問題と思わないことイコール、
「地面や床は、そういうものだ」という文化なのである。
ようやく本題だ。
だから、奴隷は裸足で床を歩かせるのだ。
奴隷に靴を与えない。奴隷に汚い地面や床を踏ませ続ける。
それがポルトガル人がアンゴラ人にした扱いである。
彼らは、汚い地面に手をつき、汚い地面を踏んでいた足で、
ポルトガル人の顔を蹴るのだ。
彼らは、汚い地面にわざと転がり、その勢いで蹴りを放つのである。
それがカポエイラだ。
練習の見学をさせてもらったときに一番驚いたのは、
ふつうのカフェで練習していることだった。
カフェのテーブルやいすをどけて、スペースをつくってそこでやる。
床は木だった。
端のソファとか本棚はそのままで、
そこにビリンバウ(楽器)などをごろんと置く。
日本人の考えなら、そこで雑巾がけからはじまり、
練習後は雑巾がけをしてしめるところだろう。
だがカポエリスタたちは、
その汚れた床に何もせずに座り、手をつき、転がり、
掌や脚裏やTシャツを真っ黒にしたまま練習していた。
それは黒人たちが、
地面で練習していた時とまるで同じなのだと理解したとき、
日本の道場が雑巾がけからはじまることと、
真逆の誇りを持っているのだとわかった。
足の裏で蹴りが入れば、真っ黒な足跡がつくだろう。
それがカポエリスタの「反逆」の象徴なのだ。
ところで、ジョーゴ(組手)は、アンゴラ派はゆっくりやる。
太極拳のような組手である。
型でなく自由組手だ。
カポエイラは回転しながらの蹴りが中心だから、
寸止めをするわけにいかない。
だから蹴りは振りぬく。
ブロックはせず(両手が塞がっている前提)、
カポエイラのディフェンスはすべて避けで構成される。
だからジョーゴにおいては、
「相手が避けられるルートを必ずつくる」のがマナーらしい。
(それゆえチェスゲームのような展開にもなる)
真っ黒な足跡をつけるのは、同胞ではなくポルトガル人だ、
カポエイラのジョーゴは、そういう主張もしているわけである。
ヨーロッパ人の床や地面に対する考え方から、
カポエイラを考察したものは見たことがない。
ということで書いてみた。
撮影最終日はリオデジャネイロ観光が出来た。
セントロ地域のポルトガル人の遺産を見れた。
ブラジル銀行文化センター(元ブラジル銀行を現代美術館にしたもの。
建物の造形、内装が素晴らしい。展示作品は現代限定なので微妙)や、
カンデラリア教会(ポルトガル人の上陸地点に建てられた教会。
中が素晴らしい。クラリスの結婚式やった教会みたいな)や、
その裏の下町(映画のロケでよく使うらしい。アングルの切りやすい場所だった)、
幻想図書館(このワードでググればすごい画像が見れるよ!)。
たしかにすごい。
ヨーロッパ人の文化はすごい。
しかしそれは、奴隷の労働が支えて出来ている。
そういうことを肌で理解できたブラジル滞在であった。
ああ、いつかカポエイラの映画をつくりたいなあ。
オンリーザストロングみたいなB級映画じゃなくて、
大航海時代と現代を直結するような視点のものを。
2016年12月17日
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