初心者は、二人芝居のシーンばかりを書きがちだ。
これでは上達しない。
なぜ二人シーンばかり書くかというと、
それしか出来ないからである。
誰かを前に自分の我を通すシーンか、
誰かを前に断られるシーンか、
誰かに同情されたり何かをされるシーンしか、
書けないからである。
ついでに、一人シーンで出来ることは、
もの思いにふけることと、
考えることと、
一人行動することである。
さらについでに、誰もいないシーンというのもある。
人がいなくても世界は進むことを示したり、
そこに誰か来たり誰かが去ることで、間をつくったりする。
三人以上のシーンは、社会を形成する。
誰かが何かを言っても、
完全な同意を得ることは難しく、
ある人は部分的に賛成で、ある人は部分的に反対である。
その賛成反対の分量で、社会の空気が出来上がるわけだ。
それは発言者の意図と必ず異なり、
だからこそそのギャップが、次への回転力となるのである。
二人芝居ではこの社会的空気が薄くなる。
つまり、セカイ系は、社会を描いていない。
だから批判されるのだが、そこについてはおいておこう。
三人芝居は、だから社会を描く基本である。
誰かと誰かが争っても、
もう一人が諫めたりするものだ。
誰かが困っていたら、残り二人で出来ることを探すものだ。
映画は、一対一の対決ではない。
とある事件に巻き込まれた、社会の行方を描くことである。
主人公はそれに、個人的な関りが最も深いだけに過ぎない。
三人芝居は、どんなシーンでも、
1分半はかかる。3分ぐらいが普通かな。
それぐらい、それぞれの思いや都合が次のフェイズにうつるのに、
時間(手間)がかかるということ。
勿論それが儀礼的に進むのではなく、
面白おかしく書けていなければならないのだが。
(笑いという意味ばかりではなく、
興味深く、という意味で)
三人芝居を基本に書こう。
ということは、三人に、動機や目的がなければ、
コンフリクト(小さな相違から大きな諍いまで)
が発生しない。
むしろ、三人が揃うことなど稀であることを知ると良い。
昨今の若者は人前が苦手で、
出来れば一人でずっといたい人が多いかも知れない。
だから三人芝居を書くのはとても苦手なのではないかなあ。
勿論、登場人物に応じて、
四人芝居、五人芝居をその映画の基本にしても構わない。
二人芝居以下にならないように注意すればいい。
これに慣れてくると、
二人のシーンは、
いかに濃く描かなければならないか分って来る。
二人芝居しか書けないやつの書く二人のシーンと、
三人芝居を基本にしてるやつの書く二人のシーンでは、
その濃さや面白さは、格段の差があるものだ。
一対一の勝負や、ラブシーン的な濃厚さがそこには必要だからだ。
三人以上なら普通なのに、二人きりになって急に緊張する、
なんてのも、社会をきちんと書けてこそだろう。
三人芝居を基本に。
あなたは、あなたと誰かのストーリーを書くのでなく、
他人と他人と他人を書き、社会とストーリーを書くのである。
2016年12月17日
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