2016年12月17日

三人芝居を基本にしよう

初心者は、二人芝居のシーンばかりを書きがちだ。
これでは上達しない。



なぜ二人シーンばかり書くかというと、
それしか出来ないからである。

誰かを前に自分の我を通すシーンか、
誰かを前に断られるシーンか、
誰かに同情されたり何かをされるシーンしか、
書けないからである。

ついでに、一人シーンで出来ることは、
もの思いにふけることと、
考えることと、
一人行動することである。

さらについでに、誰もいないシーンというのもある。
人がいなくても世界は進むことを示したり、
そこに誰か来たり誰かが去ることで、間をつくったりする。


三人以上のシーンは、社会を形成する。

誰かが何かを言っても、
完全な同意を得ることは難しく、
ある人は部分的に賛成で、ある人は部分的に反対である。
その賛成反対の分量で、社会の空気が出来上がるわけだ。

それは発言者の意図と必ず異なり、
だからこそそのギャップが、次への回転力となるのである。

二人芝居ではこの社会的空気が薄くなる。
つまり、セカイ系は、社会を描いていない。
だから批判されるのだが、そこについてはおいておこう。

三人芝居は、だから社会を描く基本である。

誰かと誰かが争っても、
もう一人が諫めたりするものだ。
誰かが困っていたら、残り二人で出来ることを探すものだ。

映画は、一対一の対決ではない。
とある事件に巻き込まれた、社会の行方を描くことである。
主人公はそれに、個人的な関りが最も深いだけに過ぎない。


三人芝居は、どんなシーンでも、
1分半はかかる。3分ぐらいが普通かな。
それぐらい、それぞれの思いや都合が次のフェイズにうつるのに、
時間(手間)がかかるということ。

勿論それが儀礼的に進むのではなく、
面白おかしく書けていなければならないのだが。
(笑いという意味ばかりではなく、
興味深く、という意味で)



三人芝居を基本に書こう。

ということは、三人に、動機や目的がなければ、
コンフリクト(小さな相違から大きな諍いまで)
が発生しない。
むしろ、三人が揃うことなど稀であることを知ると良い。

昨今の若者は人前が苦手で、
出来れば一人でずっといたい人が多いかも知れない。
だから三人芝居を書くのはとても苦手なのではないかなあ。

勿論、登場人物に応じて、
四人芝居、五人芝居をその映画の基本にしても構わない。
二人芝居以下にならないように注意すればいい。


これに慣れてくると、
二人のシーンは、
いかに濃く描かなければならないか分って来る。

二人芝居しか書けないやつの書く二人のシーンと、
三人芝居を基本にしてるやつの書く二人のシーンでは、
その濃さや面白さは、格段の差があるものだ。

一対一の勝負や、ラブシーン的な濃厚さがそこには必要だからだ。
三人以上なら普通なのに、二人きりになって急に緊張する、
なんてのも、社会をきちんと書けてこそだろう。


三人芝居を基本に。

あなたは、あなたと誰かのストーリーを書くのでなく、
他人と他人と他人を書き、社会とストーリーを書くのである。
posted by おおおかとしひこ at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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