2016年12月17日

人の目を見て、堂々と言うことがあるか

そもそもそこまで強く言いたいことがないのなら、
話など書くべきではないのだ。


たとえばロックをイメージしてみよう。
世の中が悪いから、変えようぜと言いたいとしよう。

それが、誰かの目を見て、堂々と言えるなら、
言うがよい。
歌というのはそこがサビになる。

直接観客を見て、PVや歌番組ならカメラを見て、
堂々とサビを叫ぶと良い。

歌は、直接話法である。
堂々と言いたいことを直接言う。
だからサビが命令形になる歌が多い。
ロックの例ではたとえば「Change the world」になるかも知れない。
洋楽はほとんどが命令文がサビになる。
英語の言葉の強さは、動詞によることが大きいと考えられる。

あるいは正しいと思う一文であろう。

日本語は相手に直接命令することを避け、
間接的に、たとえば自分の望みを言うことで相手に命令するから、
命令でない自分の感想が命令になっていることが多い。
それは一文の形をとる。

キャッチコピーなどはこれが多い。
直接CMから命令されたらむかつくからだね。


さて、言いたいことは何でもいい。
「世界が悪い」でも、「お前が好きだ」でも、
「振られて悲しい」でも、「私はキラキラしたものに囲まれたい」でもいい。
相手の目を見て、あなたが堂々と言えることを選ぶことだ。

そこで嘘やはったりは効かないものである。
ほんとに堂々と言えることが、表現を越えて一番強いのだ。

だからと言って、面白く価値あるものであるかどうかとは、
関係がないことに注意しよう。
堂々と言うのは、強くなるだけのことで、
それがいいものかどうかについては問うていない。

ということはだ。
面白く、価値あることを、
相手の目を見て、堂々と言えればいいわけだ。

これがテーマの話をしていることは、
そろそろお気づきのことであろう。



若いころに言いたいことなんて、
実はたいしたことのないことが多い。
身勝手で、世間知らずで、狭い視野でしかない、
動物的な叫びしか言えないと思う。
ただ、それを強く言えるかどうかだけは、気をつけるべきだ。
そこでカッコつけて、
「差別はいけない」「世界に平和を」なんて、
世間の目を見て正義づらするから、おかしなことになる。

ほんとに差別がいけないと思うなら、
世界の黒人差別や女性差別について歴史を勉強し、
実態を見てくるべきだし、
世界平和を真剣に言うなら、紛争地域の戦争を見たり、
何故人は争うのかについて考えるべきだ。
深く考えていない主張ほど、みっともないものはないだろう。
勿論、先人の主張や文化についても相対的に見れている必要だってある。


あなたの身の丈のことを、きちんと言いなさい。
飾っても、世間で受けるように言っても、
青二才の言うレベルなんだから見抜かれる。
嘘はなおさらだ。


あなたが堂々と目をみて言えることはなんだろう。

たった一人にでもいいから、
恥ずかしさを投げ捨てて、今の自分の地位を捨ててでも、
堂々と言いたいことはなんだろう。
それがあなたのテーマだ。


あと、
ロックや歌やプロパガンダのような直接話法と違って、
ストーリーというのは、間接話法である。

つまり、その言いたいことを言ってはいけない。
ストーリー、
つまり設定や事件や人々の決断や、その結果を通して、
「間接的に」言えてなくてはならない。
直接言うのは、ストーリーではなくロックである。
つまり、ロックは頭が悪く、かつ強い。

ストーリーはやり方がクレバーだ。
posted by おおおかとしひこ at 21:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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