2016年12月18日

【追悼】なめとったらあかんぞ

島木譲二が死んだことを今知った。
報道をさかのぼっても、
パチパチパンチやポコポコヘッドの一発ギャグばかり。
分ってねえなあ東京のマスコミは!

島木譲二が面白いのはその前の、
なめとったらあかんぞの下りやろ。

どっから来はったん?→尼崎です
親父の名前は?→常吉
で、どっから来はったんやったっけ?→尼崎!
親父の名前は?→常吉や、言うとるやないかい
ああ。で、どっから来はったんやったっけ?→尼崎や言うとるやないかい!
親父は→つねきちや!お前なめとんのか!なめとったらあかんぞ!

と、その後のパチパチパンチにつなぐ前段の部分こそ笑いが起こる部分。
あとは「待ってました」しか感想がない。
周囲がどうやって島木譲二を怒らせるか、
それだけの為に台本が書かれている。
(アドリブで怒らない、みたいなのもあって、
この時は周囲がアドリブで怒らせようとする)
パチパチパンチの一発芸が点だとするならば、この流れは線である。
この導線こそ笑いの本質だ。

「頭の中がチンチラポッポ」も、
「頭の中が…」「チンチラポッポ」「先に言うな!」
と、「先に言われる部分」が笑いであったりする。

島木譲二のそれだけでは笑えない単発ギャグは、
周囲とのやり取りではじめて笑いになるのである。
これが大阪の笑いだ。
ただパチパチパンチをしても笑えない。
怒らせてパチパチパンチを出す流れが面白い。
チンチラポッポも「相手が先に言う」のがオリジナルだ。

パチパチパンチもチンチラポッポも、即ちマクガフィンなのだ。


島木譲二は頭は決して良くない(キャラを演じてたかもだが)。
だから、周りとのやり取りで笑いにする。
周りが島木に役割を与える。
それが大阪の、やさしさだと僕は思う。

大阪人全員に愛された島木譲二。
天国で、「どっから来はったん?」と言われていてほしい。
posted by おおおかとしひこ at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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