では「IQ 246」の反省会でもしようか。
キャラクターや配役はキャラが立っていた。
それだけだ。
メインの謎解きが全然面白くなかった。
脚本とは、これまで何度も書いているが、
事件と解決のことだ。
キャラクターのことではない。
勿論、キャラクターも含むけれど、
それはおかずに過ぎず、
メインディッシュは事件と解決である。
このドラマを見れば、キャラクターなんて、
台本に何にもなくても役者がつけられる、
ということがある程度分かったのではないか?
なんといっても、あのヘンテコキャラは織田裕二が作ったのだ。
最初の台本には普通のしゃべり方しかなかったそうではないか。
だからヘンテコなキャラ付けをすることで、
平凡だったキャラを立てたのである。
従って、キャラクターは脚本のメインディッシュではない。
脚本のメインディッシュは、
事件と解決のはずである。
どのような事件が起こるのか(一幕)、
それはどのような展開をするのか(二幕)、
それはどのような解決をするのか(三幕)、
がどれもきちんと書かれていなかった。
どうやって完全犯罪をするのか、
それはどのように崩されるのか、
がこのドラマの焦点である。
それが、完全犯罪というにはガバガバで、
それを崩すやり方も、華麗なる鮮やかな方法でもなんでもなく、
高いIQならではの驚くべきやり方でもなかった。
つまりは、不完全犯罪を、
適当な推理でやっつけで逮捕する話ばかりだった。
これが脚本のメインディッシュなのだ。
詰まらなくて当たり前である。
ゆるゆるに伸びたうどんだ。
このドラマは、
キャラクターを役者たちが頑張って面白くして、
一向にメインディッシュのストーリーが面白くならなかった、
特殊なケースとして、後世に記録されることだろう。
極論しよう。
キャラクターとストーリーは、分離できる。
そして、ストーリーを書くのが脚本家の仕事である。
脚本家が蔑ろにされて、随分たった。
民放の最低脚本料の規定を見よ。
一時間ドラマで36.8万円だ。
(名のある人ならば言い値で上げられるが、
名のない人はここからスタートである)
10話一人で書いても368万円にしかならない。
(ちなみに1話45分とすれば、原稿用紙450枚の分量を書けばよい。
18万字である。半分ぐらいフル直しが入ったとして、27万字の労働。
文字数だけで言えば文庫本三冊程度。
勿論字数換算なんて、物語の濃さとは関係ない指標だ)
僕は、10話も書けば一般人の年収ぐらい得られてもいいと思っている。
しかもこのドラマは三人で書いている。
120万円ぐらいの仕事か。
あなたがフリーランスなら、
たかが120万円のギャラに何時間使う?
三ヶ月かけられる?
年間何シリーズやれば平均年収に追い付くか、考えるだけで嫌になる。
自分の全精力を脚本にぶつけたら、
一年一シリーズが限界だと思うんだよ。
それで最低でも平均年収稼げるような、ギャラ体系にすべきだと思うんだ。
今、ドラマ界はデフレスパイラル進行中だ。
安い脚本家を探す→つまらない→次の予算が下がる
のループに陥っている。
ここらで、脚本家に全ふりしたドラマを作って、
ドラマって面白い、ということを証明しないと、
マジでドラマは終わるかもね。
あ、邦画も同じか。
2016年12月19日
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あとは、古沢良太さんも
好みじゃないのか、殆ど見てないのでなんとも。
見たのは「三丁目の夕日」ですが、
群像劇だったので好みじゃないです。
ご存知のように僕は群像劇否定派です。
良くできた物語は、主軸も群像劇も良くできていて、
すべてのサブストーリーが一体化するべきですが、
三丁目はバラバラでした。
(主人公不在。真ん中に人間でない東京タワーがいる。
これは真ん中に人間でない怪獣のいるシンゴジラの構造と同じ)
原作を映画にする無理がたたっていると考えます。
あとキサラギも見てたか。
舞台だと面白そうだなという印象しかないなあ。
舞台と映像の脚本は何が違うかは、うまく言葉になってませんが、
舞台脚本は劇団の座つきでもあるので、
全キャストを等分に生かす傾向があると思います。
映画的物語は、もっと軽重があるというか。