2016年12月21日

【すーざんさんへの回答箱】なぜ詰まらない脚本がリリースされてしまうのか?

> 物語の構造について長年様々な人が研究をし、理論を立てているのに、つまらない映画が多いのはなぜなのでしょうか。客観性の欠如でしょうか。はたまたプロデューサーの論理でぐちゃぐちゃにされるからでしょうか。

難しい問題です。
一番の問題は、
「脚本よりも締め切りを先に作る」からかも知れません。


夏休みの宿題にたとえます。
8/31までに、絵日記を出さなければなりません。
しかし、その締め切りは強制的に決められたものでしかなく、
あなたが納得のいく絵日記が出来ていなくても、
提出しなくてはなりません。
あなたには、締め切りを伸ばしてくれと言う権利はありません。
途中までしか出来てなくても、
矛盾や手抜きがあっても、
その日で提出。

その仕組みが、いつまでたっても完璧な脚本の出来ない原因かもです。

理論は、かかる時間やコストというものを無視するものです。
工学部という実学では、
コストや効率というのを測りますが、
理論の理学部では無視します。
摩擦はないものとする、というやつですね。


今、多くの邦画では、
脚本開発に時間をかけません。
キャストを押さえるところから始めるからです。
8/31は、一ヶ月先のこともあるし、
半年先のこともあります。
それまでに、脚本が毎回充分練られる保証はありません。

締め切りがきて、
充分練られていない脚本だったとき、
キャストをキャンセルすることは出来ません。
ホテルのキャンセル料と同じで、
全額取られることでしょう。
だから、クランクインするしかないのです。
誰も納得してないホンでもね。

脚本に納得いかない、撮影延期だ、と言う勇気あるキャストか、
監督か、プロデューサーか、
誰かが言わない限り、そのプロジェクトは進みます。
損切りする責任は、誰も負わないみたいね。


後戻りせずに、クランクインしてしまうこと。

これが、詰まらない脚本を止めないことと直結しています。

おそらく、誰もが死産を覚悟しながら、
目をつぶって仕事しているのが現状かもしれません。


大日本帝国は、こうして戦争に負けたそうです。
現場の撤退判断を、上が持ちこたえよと指示して、
全滅した部隊は多かったことでしょう。

これを防ぐには、
納得できる脚本が出来てから、
準備をはじめることです。

しかし、人気キャストは一年後まで予定が埋まっているものです。
一年先撮影、二年先公開を考えると、
時流が変わるリスクが大きい。
だったら、公開時期逆算で企画を立てて、
8/31を自動的に決めるしかないのが現状なのでしょう。


もうひとつ解決策があるとしたら、
納得のいく脚本で、オーディション(無名キャスト)でやることです。
僕はこうあるべきだと考えますが、
「それは誰が出てるの?」が、
「それはどんな話なの?」に先んずる限り、
日本の客には厳しいかも知れません。

ちなみに風魔のドラマは原作つきですが、このスタイルでした。
いけちゃんの失敗は、
三億設定で脚本会議に通り、撮影日を決めてはじめたくせに、
一ヶ月前に二億にされて、納得いかない脚本のままクランクインしたことです。
俺は中止しようと言ったんだけど、
最終決定権はプロデューサーにありました。
デビューで降りたら、以後デビュー出来ないという脅しもありました。

それで爆死するのが濃厚なのに、
もしかしたらうまくいくかも。
そう思う人間心理。
たとえばギャンブル狂が陥る心理が、
詰まらない脚本をクランクインさせるのかも知れません。



全然関係ない論点。

脚本理論は、対して役に立たないかも知れません。
モテる理論が、モテ男を量産してるでしょうか。
空手の理論が、不敗の格闘家を量産してるでしょうか。
0よりは誰かを産み出している可能性はありますが、
世の中の殆どを優秀にするほどではないでしょう。

競いあいがあるならば、優劣は出るものだと考えます。

理論そのものの優秀さと、
実践の優秀さはまた別、という話もある。
テストや型の試験で満点取れても、実務や実戦はまた違う、
みたいな。


ぶっちゃけ、
「それぞれが名作だと思ってる映画が違いすぎる」
という映画観の違いの方が原因だったりしてね。
OKを出す所が人によって違う、という問題がありえます。
posted by おおおかとしひこ at 23:32| Comment(1) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様 いつも丁寧な返信ありがとうございます。作品ではなく、商品という感じですね。もう一つ質問をさせてください。大岡様が言及されたのは邦画ですが、洋画はどうでしょうか。邦画よりもお金がかかっていて、豪華なキャスティングでCGもふんだんに使った間抜けな作品が沢山あります。スピードとアクションは凄いのですが、スカスカな脚本。ブレイク・シュナイダーも、シド・フィールドも、カール・イグレシアスも、物語の大切さを説いているはずですが、ガワの究極さばかりを目指す傾向はなにが原因なのでしょうか。作り手の理論の解釈がおかしいとも思えますし、観る側がビジュアルの凄さばかりに手を叩くのも原因とも思います。大岡様はどう思われますか。
Posted by すーざん at 2016年12月22日 03:28
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